『オトナ帝国』というレトロトピア (第四節):野原一家はなぜ勝利するのか
4. 野原一家はなぜ勝利するのか
以上のように見ていくと、イエスタディ・ワンスモアはとても周到な組織であり、また彼らは近年の政治シーンをある程度まで反映した存在であると見ることができる。もちろん、製作者らが映画製作当時にどこまでこれを意識したかは定かではない。確かなのは、繰り返しになるが、この映画が今日においてより強い現在性を獲得しつつあるということだ。
イエスタディ・ワンスモアをこのように理解したうえで、本節においては「なぜイエスタディ・ワンスモアは野原一家に敗北したのか」を考察していく。周到な組織であり、強い理念を有するイエスタディ・ワンスモアは、どのようにして春日部に住む「普通の一家族」に敗北するのか。その敗北の理由は、一体どこにあるのか。
以下では異なる2つの視点から、その理由を探っていくことにしよう。1つ目は「同棲」と「家族」を対置する視点、2つ目はケンの理想を担う装置としてしんのすけという視点である。
- 4. 野原一家はなぜ勝利するのか
- 4.1 映画における対立軸の移行 ― 「同棲」に勝利する「家族」
- 4.2 ケンの理想を体現する装置としてのしんのすけ — 政治と消費のはざまで
- 4.3 「昭和」と同レベルで「家族」が理想化されているのでは?
*
『オトナ帝国』というレトロトピア (第三節):イエスタディ・ワンスモアの思想
3. イエスタディ・ワンスモアの思想
「夕やけの赤い色は思い出の色
涙でゆれていた思い出の色
ふるさとのあの人の
あの人のうるんでいた瞳にうつる
夕やけの赤い色は想い出の色」
(「白い色は恋人の色」,作詞:北山修)
*
『オトナ帝国』の序盤、ケンとチャコは「夕日町銀座商店街」と呼ばれる場所へと帰っていく。そこはいつも夕焼けで、人を過去へとふりかえらせる。商店街には活気があり、八百屋からは威勢の良い声が響く。魚屋、肉屋、タバコ屋、その他すでに多くがこの日本から姿を消したものたち。映画中盤でケンはいう。「俺たちにとってはここが現実で、外はニセモノの世界だ。(…) ここの住人たちはこの街を愛し、変わることのない過去を生きている。そしていつしかこの街は、リアルな過去の匂いに包まれた」。
では、この街にイエスタディ・ワンスモアは何を託したのか。彼らの思想はどのようなものであり、何を実現したかったのか。これは簡単なようで難しい問題だ。彼らは単に過去へ戻りたかった (過去をそのままの姿で再現したかった) わけではないようなのだから。
『オトナ帝国』というレトロトピア (第一節):「昭和30年代」ブーム
1. 「昭和30年代」ブーム
最初に、この映画が生み出された背景である昭和30年代 (的なものの) ブームに触れておきたい。ゼロ年代を通じて、昭和文化を愛好するブーム、昭和30年代ブームが存在した。このブームは今日やや落ち着いているため『オトナ帝国』公開当時に比べるとイエスタディ・ワンスモアの思想が何を反映させたものだったかがわかりにくくなっている。ごくごく簡単にだが、『オトナ帝国』公開当時の社会状況を確認しておこう (以下、浅羽,2008を参照) *1*2。
*1: 昭和30年代ブームについては、浅羽通明『昭和30年代主義』(幻冬舎,2008) 第一章がかなり詳しい。もはや昭和30年代に関係なさそうなものまでブームの一端として取り上げられているので内容を鵜呑みにはしがたいが、とりあえずどういうブームだったのかを一通り確認するには便利である。本節でも以下主にこの書籍を参考にしていく。
*2: 余談だが、先の注でも触れたとおり、昭和ブームが本格化するのは2000年代の半ばごろからであり、2001年の『オトナ帝国』はブームにやや先立って公開されたことになる。もちろん次に触れるように1990年代から『オトナ帝国』的なもの (レトロテーマパーク) の先例はいくつかあったので、それらの雰囲気を捉えて『オトナ帝国』はつくられたのだろう。だが、そうしてつくられた『オトナ帝国』という映画そのものが、その後のブームにある程度影響を与えた可能性、ブームを加速させてしまった可能性も十分にある。これは一種の皮肉だ。
『オトナ帝国』というレトロトピア (はじめに):『オトナ帝国』の現在性を見る
はじめに
東京オリンピックが開催されようとしている。たぶん……。おそらく……。コロナ禍という未曾有の事態のなか、日本は東京オリンピックのほかに大阪万博まで控えている。果たしてそれは成功するのだろうか……というか開催できるのだろうか…………は、私が考えることでもないのでさておき、オリンピックと万博を控えた今だからこそ見たくなる映画がある。『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(以下『オトナ帝国』) だ。公開当時から大ヒットとなり、その後も繰り返し論じられてきた映画なので、一度は見たことがあるのではないだろうか。
「20世紀」を “取り戻そう” と企む組織「イエスタディ・ワンスモア」としんちゃんの戦いを描いたこの映画は、公開から19年を経た今日に至ってもなおアクチュアルなものであり続けている。何といっても、「イエスタディ・ワンスモア」が追い求める「20世紀」とは、1964年に東京オリンピックが開催され、1970年に大阪万博が成功を収めた、あの20世紀なのだから *1。
奇妙なことに、我々は今、あの20世紀の再演を目の前にしている。東京オリンピックがあって、大阪万博がある、そんな21世紀を我々は迎えている。無論、これを即座に「高度経済成長の時期に帰りたいという心の表れだ」などと決めつけるつもりはない *2。だが、こうした現実を前にして、『オトナ帝国』という映画の意義が改めて強調されても良いはずだ。「万博のあった時代へ帰ること」に対し抗ったこの映画は、公開から19年経った今日、どのようなものとして見ることができるだろうか。
本記事では、高校「現代社会」との接続も意識しながら『オトナ帝国』の内容を読み解いていく *3。1節ではこのような映画がつくられた背景として「昭和30年代ブーム」と呼んでも良いものが存在したことを指摘し、2節では「なぜ昭和30年代が “なつかしさ” を感じさせるのか (どのような条件の下で、昭和30年代は “なつかしい” 対象となったのか)」を当時の社会状況から分析する。それをふまえて3節では「イエスタディ・ワンスモア」がどのような思想を有する団体であったのか (彼らはどのような政治団体だったのか) を論じ、続く4節では「なぜ野原一家がイエスタディ・ワンスモアに勝つのか」を考察する。最後に、3・4節の内容をふまえて、この映画における矛盾や無理、すなわちこの映画の限界を指摘することにしよう。この映画が提示する「現在 (いま)」の像もまた、幻想でしかないのかもしれず、この映画が与えてくれる感動も一種のまやかしでしかないのかもしれない。
いずれの節も (特に3・4・5節は)、今日だからこそ見えてくるこの映画の一側面を切り取って論じていく *4。そうした作業を通じて、(映画公開当初に想定されていなかったであろうことも含めて、) この映画の今日における価値と限界を描き出すこと。それがこの記事の目的である。
〈目次〉
1. 「昭和30年代」ブーム
2.1 高度経済成長期の虚像
2.2 高度経済成長期の実像
2.2.1 くりかえす倒産の波
2.2.2 国民所得倍増計画がもたらしたもの
2.2.3 集団就職者が経験した高度成長期
2.2.4 「明るいお祭り」から排除されたもの
2.3 「夢の時代だった」と回想したくなる魅力
2.3.1 夢を抱くことのできた最後の時代?
2.3.2 国民的イベントの連続
2.4 まとめ
3.1 イエスタディ・ワンスモアというユートピア思想
3.2 コミュニティという幻想
3.3 これは幻想でしかない
4.1 映画における対立軸の移行 ― 「同棲」に勝利する「家族」
4.2 ケンの理想を体現する装置としてのしんのすけ — 政治と消費のはざまで
4.3 「昭和」と同レベルで「家族」が理想化されているのでは?
5.1 「美しい国」とレトロトピア。そして昭和ブームと家族の関係
5.2 新自由主義と家族との結びつき
5.3 余談:『美しい国へ』における『ALWAYS』評はどう読まれたのか
5.4 家族という思想、ヒロシという神話
*****
*1: いうまでもないことだが、この映画における「20世紀」は現実の時代区分としての20世紀 (1901~2000年) に必ずしも対応していない。人々が「20世紀らしい」と信じる時代のことを指し、それはおおよそ昭和30年代前後 (1955~1964年前後) を意味しているように見える。「20世紀博」のモチーフ群をもとにもう少し詳しく特定しておくと、おそらくは東京タワーが竣工された1958年から、大阪万博で輝かしい未来イメージが提示された1970年までを指すと考えて良いだろう (もちろんセーラームーンなど明らかに90年代アニメのオマージュも登場するのだが、少なくともそれはケン・チャコが目指す「20世紀」からはやや浮いているようだ)。本記事では、この1958~1970年ごろを「20世紀」という言葉に代えて「昭和30年代 (的)」と呼ぶことにする。 なお、昭和ブームにおいて「昭和30年代」は、あえて高度成長期と切り離されることで特別な意味を与えられていたと見る者もいる。日高勝之は昭和ノスタルジア言説を分析する中で、一部の論者において昭和30年代は高度経済成長期と質的に異なる時期として捉えられており、それはあたかも敗戦の混乱と高度成長の喧騒に挟まれた「小春日和」であるかのような虚構性を与えられていたと指摘している (日高,2014:110)。これも昭和ブームの内実を見事に捉えた重要な指摘であるといえるだろう。
*2: とはいえ、政治家たちの間にそれらを結びつける視線は確実に存在している。例えば2020年東京オリンピック開催が決定した数か月後、衆議院経済産業委員会において、「[東京オリンピックを]どのような手法やイベントで日本の新たな飛躍につなげようとされているのか」と質問された茂木経済産業大臣 (当時) は次のように答えた。「昭和三十九年、東京オリンピック、まさに日本が高度成長期真っ盛りでありまして、きのうよりもあすがよくなる、「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界に展開されるようなものが見られ、(…) 日本に大きな勇気、そういったものを与えたのではないか、こんなふうに思っております。2020年、オリンピック・パラリンピックの東京開催が決まりまして、日本が長引くデフレから脱却をし、もう一度、勇気、そしてまた感動、さらには自信を取り戻す、こういうきっかけにできればまさにアベノミクスにとっても四本目の矢になる、こんなふうに我々は考えているところであります」(第186回国会 衆議院 経済産業委員会 第2号 平成26年2月21日)。国会議事録を読んでいると、議員たちが (あまりそうする必要もなさそうな文脈で)「自分たちがかつて経験した東京オリンピック」と「2020年東京オリンピック」を結びつけて発言している場面が多い。彼らにとってはやはり何か特別な思いがあるようだ。
*3: とくに2節の内容は、『オトナ帝国』を高校「現代社会」の授業で見せる際の参考になるかもしれない。景気循環・インフレ・公害・生活環境の変化といった内容を織り交ぜて高度成長期を記述することで、『オトナ帝国』を日本経済史の一部として扱えるようにしている。同時に、工夫によっては3節の内容もまた高校「現代社会」の教材として利用可能だ。3節では、イエスタディ・ワンスモアの思想をコミュニティ主義と捉えることで、現代の社会における政治状況と結びつけていく。
*4: 2000年代半ばごろから本格化する昭和ブームに先立つ形で本作が公開されていることからもわかるとおり、『オトナ帝国』は常に時代に先駆けた作品であった。本記事では昭和ブーム、昭和への過剰な懐古、保守と排外思想、「美しい国」といったものを扱っていくが、『オトナ帝国』はそれらが存在感を増すよりもかなり早い時期に公開されたにもかかわらず、それらの問題を先取りしている。それゆえに、この映画の価値を論じるためには、その内容を積極的に今日の状況と結びつけ、再解釈していったほうが良いといえるだろう。本記事はそのような考えから、あえて『オトナ帝国』の内容を拡大解釈している。
吉見俊哉『都市のドラマトゥルギー』(河出文庫,2008) 第四章 要約&コメント
第4章 盛り場の1970年代
Ⅰ トポスとしての「新宿」—— 上演Ⅳ (p.268-95)
〇 盛り場としての新宿
ターミナル駅として栄えた新宿は、同時に盛り場としての顔も有していた。町の成り立ちに関わる遊郭、娼家、戦後産声を上げ独特の共同性を有した闇市、これらがそれをよく表している (:269-73)。闇市はやがて取り締まられ連鎖市場へと転換したが、その背後では鈴木喜兵衛による構想のもとで歌舞伎町という歓楽街が成長し、昭和23年の売春防止法以降は売春の中心地もここに移動した (:273-7)。
1960年代になると、新宿はアングラ文化の拠点としての性格を持ち始める。例えば「現実」の市民社会が押し付ける物語を自分たちの「虚構」の物語の側に引き込む唐十郎の状況劇場に表れているように、この時期の新宿はマスコミがいかに尖端的にこの街を取り上げようと、それをなし崩しにしてしまうだけのエネルギーを抱え込んでいた (:277-81)。