世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

『オトナ帝国』というレトロトピア (第一節):「昭和30年代」ブーム

1. 「昭和30年代」ブーム


 最初に、この映画が生み出された背景である昭和30年代 (的なものの) ブームに触れておきたい。ゼロ年代を通じて、昭和文化を愛好するブーム、昭和30年代ブームが存在した。このブームは今日やや落ち着いているため『オトナ帝国』公開当時に比べるとイエスタディ・ワンスモアの思想が何を反映させたものだったかがわかりにくくなっている。ごくごく簡単にだが、『オトナ帝国』公開当時の社会状況を確認しておこう (以下、浅羽,2008を参照) *1*2




 例えば、1990年代~2000年代においては『オトナ帝国』のように「昭和の街並み」を再現しようとする試みが立て続けに登場した。こうした試みの先駆けとしてよく挙げられるのが、1994年の「新横浜ラーメン博物館」である。その後、1996年には池袋に「ナムコナンジャタウン」がオープンし、そのなかの「福袋七丁目商店街」で昭和30年代的町並みが再現された (後に「餃子スタジアム」へ改修された部分だ)。また、1999年には東京都青梅市に「昭和レトロ商品博物館」が建てられ、2002年には大分県豊後高田市で「駄菓子屋の夢博物館・昭和ロマン蔵」がオープン。そのほか郷土博物館などでも昭和の街並み再現が試みられており、例えば東京都荒川区の「荒川ふるさと文化館」、大田区の「昭和のくらし博物館」、愛知県北名古屋市の「昭和日常博物館」などがよく知られる。それぞれの関連ページをリンクしておいたので、詳しくはそちらを見てほしい *3。これらの施設がどのような空間を再現しようとしてきたか、なんとなく把握できるはずだ。

 なお、こうした動きは決して過去のものではない。西武鉄道は2021年春に向けて「西武園ゆうえんち」を「1960年代をイメージした街並みや商店街」へと改修している。公式ホームページの熱気はなかなかのもので、「圧倒的なクオリティで創り込まれた1960年代の街並みに驚く間も無く、右から左から昭和の住人が押し寄せてあなたを放っておきません!」「新生・西武園ゆうえんちがおくる、これが “生きた昭和の世界” の全貌だ!」「一歩踏み入れればあたり一面、人の元気・活気・熱気がみなぎる商店街!」「この商店街全体が、まるでひとつの大きな舞台」とある (2020/12/31参照)。


 次に、映画・テレビでも昭和ブームがあったことを紹介しておこう。その最たる例として挙げられるのが、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』である。2005年に公開されたこの映画は、興行収入35億円、観客動員数284万人を記録する大ヒットとなった *4。公開年の日本アカデミー賞では最優秀作品賞をはじめ14部門で賞を獲得、キネマ旬報読者選出ベストテン第一位のほか20近い映画賞に輝いている。

 昭和33年、建ちかけの東京タワーを望む「夕日台三丁目」商店街、そこを舞台にくりひろげられる人情ストーリー……とまとめておけばよいだろうか。とにかく、CGも駆使しながらレトロな街並みを徹底的に再現したことで話題を呼んだ。そこで描かれる昭和イメージは、おおよそ以下のように受け取られたと考えてよいだろう。

「たった数十年前だけど、携帯電話やインターネットはまだ夢の話で、コンビニもない時代。現代と比べると不便だが、日本中が活力に満ち、人と人のつながりも深かった。そんな古き良き昭和の世界を再現した『ALWAYS 三丁目の夕日』3部作。」

(シネマトゥデイ「『ALWAYS 三丁目の夕日』特集:『ALWAYS 三丁目の夕日』3部作で見る昭和と人情ドラマ」, 2014/05/23記事, https://www.cinematoday.jp/page/A0004125, 2020/11/22参照)


 また、『ALWAYS』の山崎貴監督 (『永遠のゼロ』や『STAND BY ME ドラえもん』、はたまたある種伝説の映画になってしまった『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』などを手掛けており、邦画界ではいろいろな意味で有名なのだが、その人) 自身がこの映画について次のように述べている。

「今の時代は、物があふれ、人間関係が希薄になっていますが、かつて日本の未来を信じて生きた “元気な時代” があり、待ちに待ったテレビが届いて町中の人が見に集まって来るような “温かい社会” があったことを若い人は知ってほしい。」*5*6


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参考文献

浅岡隆裕 2004 「昭和30年代へのまなざし——ある展示会の表象と受容の社会学的考察」in『応用社会学研究』,46号.
浅羽通明 2008 『昭和三十年代主義 もう成長しない日本』 幻冬舎.
安倍晋三 2006 『美しい国へ』 文春新書.
市川考一 2010 「昭和30年代はどう語られたか “30年代ブーム” についての覚書」in『マス・コミュニケーション研究』,76号.
エーコ 1998 『永遠のファシズム』(和田忠彦訳) 岩波書店.
大塚英二 1996 『彼女たちの連合赤軍 サブカルチャー戦後民主主義』 文藝春秋.
加瀬俊和 1997 『集団就職の時代 高度成長のにない手たち』 青木書店.
北田暁大 2005 『嗤う日本のナショナリズム』 NHKブックス.
———— 2011 『増補 広告都市・東京 その誕生と死』 ちくま学芸文庫.
攝津斉彦 2013 「高度成長期の労働移動 移動インフラとしての職業安定所・学校」in『日本労働研究雑誌』,No634.
高野光平 2018 『昭和ノスタルジー解体』 晶文社.
武田晴人 2008 『高度経済成長』 岩波新書.
バウマン 2017 『コミュニティ 安全と自由の戦場』(奥井智之訳) ちくま学芸文庫.
———— 2018 『退行の時代を生きる 人びとはなぜレトロトピアに魅せられるのか』(伊藤茂訳) 青土社.
日高勝之 2014 『昭和ノスタルジアとは何か 記憶とラディカル・デモクラシーのメディア学』 世界思想社.
福田恆存 1961 「消費ブームを論ず」(in 1987 『福田恆存全集 第5巻』 文藝春秋).
布施晶子 1989 「イギリスの家族 サッチャー政権下の動向を中心に」in『現代社会学研究』,2巻.
古谷経衡 2015 『愛国ってなんだ 民族・郷土・戦争』 PHP新書.
町田忍  1999 『近くて懐かしい昭和あのころ——貧しくても豊かだった昭和30年代グラフィティ』 東映.
見田宗介 2008 『まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学』 河出書房新社.
矢部健太郎 2004 「ノスタルジーの消費 映画『クレヨンしんちゃんオトナ帝国の逆襲』分析」in『ソシオロジカル・ペーパーズ』,13号.
柳美里 2014 『JR上野駅公園口』 河出書房新社.
吉見俊哉 1992 『博覧会の政治学 まなざしの近代』 中公新書.
———— 2009 『ポスト戦後社会』 岩波新書.

国土交通省 2006 『平成18年度 国土交通白書』.
自民党憲法改正推進本部 2012 「日本国憲法改正草案」.
——————————— 2013 「日本国憲法改正草案Q&A 増補版」.
菅義偉事務所 2020 「菅義偉 自民党総選挙2020 政策パンフレット」.





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*1: 昭和30年代ブームについては、浅羽通明『昭和30年代主義』(幻冬舎,2008) 第一章がかなり詳しい。もはや昭和30年代に関係なさそうなものまでブームの一端として取り上げられているので内容を鵜呑みにはしがたいが、とりあえずどういうブームだったのかを一通り確認するには便利である。本節でも以下主にこの書籍を参考にしていく。

*2: 余談だが、先の注でも触れたとおり、昭和ブームが本格化するのは2000年代の半ばごろからであり、2001年の『オトナ帝国』はブームにやや先立って公開されたことになる。もちろん次に触れるように1990年代から『オトナ帝国』的なもの (レトロテーマパーク) の先例はいくつかあったので、それらの雰囲気を捉えて『オトナ帝国』はつくられたのだろう。だが、そうしてつくられた『オトナ帝国』という映画そのものが、その後のブームにある程度影響を与えた可能性、ブームを加速させてしまった可能性も十分にある。これは一種の皮肉だ。

*3: その他、まとまったものとしてWikipediaの項目「レトロテーマパーク」も参考になる。

*4: 国民的アニメ・クレヨンしんちゃんの映画、そのなかでも広い層から注目された『オトナ帝国』の興行収入が15億円程度だったことをふまえると、『ALWAYS』の興行収入額の大きさをよく理解できるだろう。

*5: 「読売新聞」に寄せたコメント。(浅羽,2008:41) より孫引き。どうでもよいが、監督は1964年生まれなので、『ALWAYS』の時代 (昭和33年=1958年) を経験したことはないはずだ。1960年代の記憶がどれほどあるのかも怪しく、幼少時代ということでかなりのバイアスがかかっていそうではある。興味深いのは、大阪万博開催当時の監督は6歳程度であり、ちょうど『オトナ帝国』に登場する子ども時代のヒロシと重なる年頃だったということであろう。別に監督が自分で作りたい作品を選べるわけではないだろうから、一概に何かを言い切ることはできないのだが (そもそも山崎はこの映画の監督を引き受けるのをひどく渋ったともいうのだが[日高,2014:10]) 彼もある部分では、「あの時代に帰りたい」思いを抱えた人だったのかもしれない。

*6: ちなみに、先に触れた「西武園ゆうえんち」リニューアルも山崎貴がプロデュースしている。「西武園ゆうえんち」自体が一つの「三丁目の夕日」となるべく計画されており、公式ホームページでは山崎がその核となる価値観について次のように語っている。「新しい西武園ゆうえんちが目指している『心温まる幸福感に包まれる世界』は僕がいくつかの映画の中で目指してきたものに大変近く共感しています。価値観が激しく変化していかざるを得ない現代において、その根っことなる感情を再確認するためにも、時折そういった世界に身を浸すことはますます大事な事になっていくのでは無いでしょうか」。  現在公開中の『スタンドバイミーどらえもん2』でも (PVなどをみる限り)「おばあちゃんのいた時代」をノスタルジックに描いている山崎は、広い世代に対し「温かい昭和」イメージを伝え続ける代表者となっている。