世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

ルーマン「社会学的パースペクティブから見た規範」(1969=2015) 概要とコメント

概要


 予期についての初期ルーマンの議論は有名であり、日本の法学・社会学におけるルーマン受容もこの議論あたりから始まったといってよいと思う (たぶん。ちなみに『法社会学』邦訳の出版は1977年である)。本論文が収録されている『社会の道徳』の訳者あとがきにもあるように、ここではそうしたルーマンの記念碑的な議論が、『法社会学』(1972=1977) ほど複雑ではない形で展開されている。以下では内容をかみ砕き適当な例を加えながら、その概要をまとめていくことにしたい。なお、本記事はどちらかといえば精読よりも議論の紹介に重きを置いている。そのため、内容を理解しやすくするための補足を〔〕内に加え、話の流れもところどころ整理した。そもそもちゃんと理解できているかすら怪しいので、その点注意してほしい。

  • 概要
  • コメント
    • 社会学初学者にも魅力的な観察視点の一つとして
    • 〇 具体的には、どのような観察に役立ちうるのか。
      • ① 異なる予期を抱く、異なる領域が出会う場では何が起きるか
      • ② 認知と規範を切り替えることで、何が可能になっているのか
      • ③「ふさわしい行動」の学習
      • ④ EMに関わるところでは
      • 〈参考文献〉
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カード法の提案と、古代ギリシアの授業案 (第4節) — 結論と補足

4. 結論と補足


 以上、教科書に依拠して、範囲の内容を網羅的に扱い、可能な限り楽をしながら (?) 、生徒自身に何かを考えさせ論じさせる実践を考案しました。何より重要なテキストである教科書を、しっかりと読み解くだけの読解力をつける。そのうえで、それらを整理し、あわよくばそれを使って生徒自身が物事を考える。そうした実践の可能性を提示できたかと思います。

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カード法の提案と、古代ギリシアの授業案 (第3節) — 古代ギリシアを例にした授業法の提案

3. 古代ギリシアを例にした授業法の提案

  • 3. 古代ギリシアを例にした授業法の提案
    • 3.1 導入部 (1時間) — カード作成の利点を理解する
    • 3.2 民主政治の成立 (1時間)
      • 3.2.1 メタ能力:文章読解
      • 3.2.2 メタ能力:意義と限界を想像し論じる
    • 3.3 ペルシア戦争と民主政の完成 (1時間) ― メタ能力:全体像の理解と仮説の提示
    • 3.4 レポートの作成 (1~2時間) ― メタ能力:仮説の修正、そして問いの発見とレポートの作成

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カード法の提案と、古代ギリシアの授業案 (第2節) — 身につけるべき能力ってなんだろう?

2. 身につけるべき能力ってなんだろう?

  • 2. 身につけるべき能力ってなんだろう?
    • 2.1 情報を読み解き、把握し、まとめる能力
    • 2.2 情報を整理し、それを論理的に整序する能力
    • 2.3 情報を意味づけ、意義づける能力
    • 2.4 新たな情報に応じて、内容の構成を柔軟に変更していく能力
    • 2.5 データベースを活用しつつ、問いを案出する力
    • 2.6 まとめ — 求められる5つの力

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カード法の提案と、古代ギリシアの授業案 (第1節) — 知識構成型ジグソー法の抱える難点

1. 知識構成型ジグソー法が抱える難点

  • 1. 知識構成型ジグソー法が抱える難点
    • 1.1 問いは教師が立てて良いのか
    • 1.2 そもそも科学等において必要なのは、与えられたピースをもとにパズルを解く力ではない
    • 1.3 対象の限定と、データベースの不在

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カード法の提案と、古代ギリシアの授業案 (目次) — 「高校の授業において求められる能力」と「大学のレポート作成において求められる能力」の間をいかに埋めるかについての一考察

 今回は授業法に関する話をしたいと思います。とくに、近年 (ずっと前から?) 流行りの協調学習だとか、協同学習だとか、対話的で深い学びだとか、そういうものの限界を指摘し対案を提示すること、それを目標とします。読書会の内容がオリエントと古代ギリシアだったので、それにあわせて古代ギリシアを対象にした具体的な授業案も作成しました (時間の関係上、だいぶ粗悪・粗雑ですが)。なお、以下の話は基本的にレベルの高い進学校を想定しています。くだけた書き方で進めていこうと思うので、肩の力を抜いて読み進めてください。

 先にこの記事が何を狙っているのか書いておきましょう。この記事は、(1) 教師が生徒に、「授業のメインテーマとなる問い」と「その答えを構成しうる知識」を与えてしまう授業実践の限界を指摘しながら、(2) 生徒自身が「問い」を立てて何かを論じる実践はどのように可能かを考えていくものです。(3) これは「レポート作成能力、ひいては研究能力を授業のなかでどのように身につけさせるか」という課題にもつながるものであるため、本記事は例えば「大学1年生にレポートの作成方法をどう教えるか」という視点からも読めるかもしれません。(4) いずれにせよ、本記事は「高校の授業で求められる能力」と「大学のレポート作成で求められる能力」との間に存在する差異を、無理なく妥当に乗り越えるための方策について考察するものであり、高校生・大学生の両方に寄与しうるようなものとなっています (少なくともそのつもりで書いています)。

 まぁ勉強会のために一週間で書き上げた原稿なので色々とつたないところがあるのですが、何かの参考くらいになればと思い、公開しておくことにしました。以下、太字部分がリンクになっています。そこから各節へ飛んでください。

1. 知識構成型ジグソー法が抱える難点


 1.1 問いは教師が立てて良いのか


 1.2 そもそも科学等において必要なのは、与えられたピースをもとにパズルを解く力ではない


 1.3 対象の限定と、データベースの不在


2. 身につけるべき能力ってなんだろう?


 2.1 情報を読み解き、把握し、まとめる能力


 2.2 情報を整理し、それを論理的に整序する能力


 2.3 情報を意味づけ、意義づける能力


 2.4 新たな情報に応じて、内容の構成を柔軟に変更していく能力


 2.5 データベースを活用しつつ、問いを案出する力


 2.6 まとめ — 求められる5つの力


3. 古代ギリシアを例にした、授業法の提案

 3.1 導入部 (1時間) — カード作成の利点を理解する


 3.2 民主政治の成立 (1時間)


  3.2.1 メタ能力:文章読解


  3.2.2 メタ能力:意義と限界を想像し論じる


 3.3 ペルシア戦争と民主政の完成 (1時間) ― メタ能力:全体像の理解と仮説の提示


 3.4 レポートの作成 (1~2時間) ― メタ能力:仮説の修正、そして問いの発見とレポートの作成




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文献紹介:初沢亜利『東京、コロナ禍。』 ~写真から考える、コロナ禍がもたらしたもの~


 改めて緊急事態宣言が出されそうになっている今だからこそ、おススメしたい写真集があります。コロナ禍の東京の姿を、約4か月という短いスパンで切り取った、初沢亜利『東京、コロナ禍。』(柏書房,2020) です。


東京、コロナ禍。



 私も最近よく写真を撮るのですが、写真というものはとても面白いもので、基本的には景色の一部を切り取っているだけであるにも関わらず、ときにどこか批評的な意味合いを帯びることがあります。例えば、この記事に掲載されている写真を見てください。これらはすべて『東京、コロナ禍。』に収録されているものです。とくに注目してほしいのが、一番下にのっている「使用禁止にされた荒川区の公園の遊具」。私は本屋でこの写真を見たときに、思わず写真集を持ってレジへと直行してしまいました。


 (印刷されたものを見るともう少し細部における技術の上手さを見ることができるのですが、ネット上の記事だと解像度が低くなってしまうこともあり) 記事を見る限りでは普通の写真に見えるかもしれません。少なくとも、緊急事態宣言下でほとんどの人が目にした、都内や近郊ではありふれた光景であるといえるでしょう。しかし、公園の遊具の周りに「立ち入り禁止」というイエローテープが過剰なまでに張り巡らされた状況は、そこだけ切り取って見るとかなり異様なものであるようにも見えます。


 この写真が第一に伝えているのは、コロナ禍において、公園の遊具は突如「危険物」として扱われるようになったということです。ひいては、公園という公共の場、さらにいえば公共空間全体が、何よりも危険なものとして扱われるようになったということを、我々に対して伝えています。コロナ、そして緊急事態宣言というものが、公共空間の意味合いを大きく変化させたこと、その様子をこの写真は切り取っているのです。


 しかし、第二にこの写真が伝えているものがあります。それは右下にそれとなく写り込んでいる、ブランコに乗る少年の姿です。少年は、危険物と意味づけられた遊具に乗り、大きく体を空へと投げ出しています。この写真集にはほかにも、イエローテープが貼られたシーソーに乗って (もはやイエローテープそれ自体を遊具にしてしまうかのように) 楽しそうに遊ぶ子どもたちの様子が収録されているのですが、ブランコの少年やシーソーで遊ぶ子どもたちを見ていると、空間の意味づけのせめぎあいのようなものを感じてしまいます。コロナ禍の前まで、公園で子どもが遊ぶのは自然の光景でした。しかし、緊急事態宣言下、あるいは感染拡大のさなかにある今日においては、公園はなにかしらのせめぎあいの場、特定の緊張感をはらんだ場へと変容してしまったのです。


 優れた写真は、批評的な景色の切り取り方をし、それを鑑賞者に対して提示することで、鑑賞者の目にうつる景色の見え方を変えてしまいます。コロナ禍の街並みに少しずつ慣れてきており、ついつい色々なことを見逃してしまう今だからこそ、そうした写真を見て観察眼を養うこと、それが案外重要なのではないでしょうか。


 この写真集には、ものの見え方を変えてしまう力をもった優れた写真が多く収録されています。同時代の日本をこのように高度な批評性をもって切り取ることのできる著者 (撮影者) の観察眼には感嘆せざるをえません。ぜひ、一度目を通してみてください。




book.asahi.com

「表紙に選んだのは子どもの頃に遊んでいた、家の近所にある公園の遊具。少なくとも40年前からあったのに、改めて見たら、コロナウィルスに見えた。いったんそう見えたら、なんでコロナにしか見えなくなっちゃうんだろう。世の中の偏見の中に自分もいたということを確認しますよね。そういうおかしさがあるんです。」