世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

『オトナ帝国』というレトロトピア (はじめに):『オトナ帝国』の現在性を見る

はじめに

 東京オリンピックが開催されようとしている。たぶん……。おそらく……。コロナ禍という未曾有の事態のなか、日本は東京オリンピックのほかに大阪万博まで控えている。果たしてそれは成功するのだろうか……というか開催できるのだろうか…………は、私が考えることでもないのでさておき、オリンピックと万博を控えた今だからこそ見たくなる映画がある。『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(以下『オトナ帝国』) だ。公開当時から大ヒットとなり、その後も繰り返し論じられてきた映画なので、一度は見たことがあるのではないだろうか。



映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲



 「20世紀」を “取り戻そう” と企む組織「イエスタディ・ワンスモア」としんちゃんの戦いを描いたこの映画は、公開から19年を経た今日に至ってもなおアクチュアルなものであり続けている。何といっても、「イエスタディ・ワンスモア」が追い求める「20世紀」とは、1964年に東京オリンピックが開催され、1970年に大阪万博が成功を収めた、あの20世紀なのだから *1

 奇妙なことに、我々は今、あの20世紀の再演を目の前にしている。東京オリンピックがあって、大阪万博がある、そんな21世紀を我々は迎えている。無論、これを即座に「高度経済成長の時期に帰りたいという心の表れだ」などと決めつけるつもりはない *2。だが、こうした現実を前にして、『オトナ帝国』という映画の意義が改めて強調されても良いはずだ。「万博のあった時代へ帰ること」に対し抗ったこの映画は、公開から19年経った今日、どのようなものとして見ることができるだろうか。

 本記事では、高校「現代社会」との接続も意識しながら『オトナ帝国』の内容を読み解いていく *3。1節ではこのような映画がつくられた背景として「昭和30年代ブーム」と呼んでも良いものが存在したことを指摘し、2節では「なぜ昭和30年代が “なつかしさ” を感じさせるのか (どのような条件の下で、昭和30年代は “なつかしい” 対象となったのか)」を当時の社会状況から分析する。それをふまえて3節では「イエスタディ・ワンスモア」がどのような思想を有する団体であったのか (彼らはどのような政治団体だったのか) を論じ、続く4節では「なぜ野原一家がイエスタディ・ワンスモアに勝つのか」を考察する。最後に、3・4節の内容をふまえて、この映画における矛盾や無理、すなわちこの映画の限界を指摘することにしよう。この映画が提示する「現在 (いま)」の像もまた、幻想でしかないのかもしれず、この映画が与えてくれる感動も一種のまやかしでしかないのかもしれない。

 いずれの節も (特に3・4・5節は)、今日だからこそ見えてくるこの映画の一側面を切り取って論じていく *4。そうした作業を通じて、(映画公開当初に想定されていなかったであろうことも含めて、) この映画の今日における価値と限界を描き出すこと。それがこの記事の目的である。


〈目次〉
1. 「昭和30年代」ブーム


2. なつかしさを共有できる「未来」

 2.1 高度経済成長期の虚像
 2.2 高度経済成長期の実像
  2.2.1 くりかえす倒産の波
  2.2.2 国民所得倍増計画がもたらしたもの
  2.2.3 集団就職者が経験した高度成長期
  2.2.4 「明るいお祭り」から排除されたもの
 2.3 「夢の時代だった」と回想したくなる魅力
  2.3.1 夢を抱くことのできた最後の時代?
  2.3.2 国民的イベントの連続
 2.4 まとめ


3. イエスタディ・ワンスモアの思想

 3.1 イエスタディ・ワンスモアというユートピア思想
 3.2 コミュニティという幻想
 3.3 これは幻想でしかない


4. 野原一家はなぜ勝利するのか

 4.1 映画における対立軸の移行 ― 「同棲」に勝利する「家族」
 4.2 ケンの理想を体現する装置としてのしんのすけ — 政治と消費のはざまで
 4.3 「昭和」と同レベルで「家族」が理想化されているのでは?


5. 家族というイデオロギー、『オトナ帝国』の限界

 5.1 「美しい国」とレトロトピア。そして昭和ブームと家族の関係
 5.2 新自由主義と家族との結びつき
 5.3 余談:『美しい国へ』における『ALWAYS』評はどう読まれたのか
 5.4 家族という思想、ヒロシという神話


おわりに



*****

*1: いうまでもないことだが、この映画における「20世紀」は現実の時代区分としての20世紀 (1901~2000年) に必ずしも対応していない。人々が「20世紀らしい」と信じる時代のことを指し、それはおおよそ昭和30年代前後 (1955~1964年前後) を意味しているように見える。「20世紀博」のモチーフ群をもとにもう少し詳しく特定しておくと、おそらくは東京タワーが竣工された1958年から、大阪万博で輝かしい未来イメージが提示された1970年までを指すと考えて良いだろう (もちろんセーラームーンなど明らかに90年代アニメのオマージュも登場するのだが、少なくともそれはケン・チャコが目指す「20世紀」からはやや浮いているようだ)。本記事では、この1958~1970年ごろを「20世紀」という言葉に代えて「昭和30年代 (的)」と呼ぶことにする。  なお、昭和ブームにおいて「昭和30年代」は、あえて高度成長期と切り離されることで特別な意味を与えられていたと見る者もいる。日高勝之は昭和ノスタルジア言説を分析する中で、一部の論者において昭和30年代は高度経済成長期と質的に異なる時期として捉えられており、それはあたかも敗戦の混乱と高度成長の喧騒に挟まれた「小春日和」であるかのような虚構性を与えられていたと指摘している (日高,2014:110)。これも昭和ブームの内実を見事に捉えた重要な指摘であるといえるだろう。

*2: とはいえ、政治家たちの間にそれらを結びつける視線は確実に存在している。例えば2020年東京オリンピック開催が決定した数か月後、衆議院経済産業委員会において、「[東京オリンピックを]どのような手法やイベントで日本の新たな飛躍につなげようとされているのか」と質問された茂木経済産業大臣 (当時) は次のように答えた。「昭和三十九年、東京オリンピック、まさに日本が高度成長期真っ盛りでありまして、きのうよりもあすがよくなる、「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界に展開されるようなものが見られ、(…) 日本に大きな勇気、そういったものを与えたのではないか、こんなふうに思っております。2020年、オリンピック・パラリンピックの東京開催が決まりまして、日本が長引くデフレから脱却をし、もう一度、勇気、そしてまた感動、さらには自信を取り戻す、こういうきっかけにできればまさにアベノミクスにとっても四本目の矢になる、こんなふうに我々は考えているところであります」(第186回国会 衆議院 経済産業委員会 第2号 平成26年2月21日)。国会議事録を読んでいると、議員たちが (あまりそうする必要もなさそうな文脈で)「自分たちがかつて経験した東京オリンピック」と「2020年東京オリンピック」を結びつけて発言している場面が多い。彼らにとってはやはり何か特別な思いがあるようだ。

*3: とくに2節の内容は、『オトナ帝国』を高校「現代社会」の授業で見せる際の参考になるかもしれない。景気循環・インフレ・公害・生活環境の変化といった内容を織り交ぜて高度成長期を記述することで、『オトナ帝国』を日本経済史の一部として扱えるようにしている。同時に、工夫によっては3節の内容もまた高校「現代社会」の教材として利用可能だ。3節では、イエスタディ・ワンスモアの思想をコミュニティ主義と捉えることで、現代の社会における政治状況と結びつけていく。

*4: 2000年代半ばごろから本格化する昭和ブームに先立つ形で本作が公開されていることからもわかるとおり、『オトナ帝国』は常に時代に先駆けた作品であった。本記事では昭和ブーム、昭和への過剰な懐古、保守と排外思想、「美しい国」といったものを扱っていくが、『オトナ帝国』はそれらが存在感を増すよりもかなり早い時期に公開されたにもかかわらず、それらの問題を先取りしている。それゆえに、この映画の価値を論じるためには、その内容を積極的に今日の状況と結びつけ、再解釈していったほうが良いといえるだろう。本記事はそのような考えから、あえて『オトナ帝国』の内容を拡大解釈している。