世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

『オトナ帝国』というレトロトピア (第三節):イエスタディ・ワンスモアの思想

3. イエスタディ・ワンスモアの思想

 

「夕やけの赤い色は思い出の色
涙でゆれていた思い出の色
ふるさとのあの人の
あの人のうるんでいた瞳にうつる
夕やけの赤い色は想い出の色」
(「白い色は恋人の色」,作詞:北山修)




 『オトナ帝国』の序盤、ケンとチャコは「夕日町銀座商店街」と呼ばれる場所へと帰っていく。そこはいつも夕焼けで、人を過去へとふりかえらせる。商店街には活気があり、八百屋からは威勢の良い声が響く。魚屋、肉屋、タバコ屋、その他すでに多くがこの日本から姿を消したものたち。映画中盤でケンはいう。「俺たちにとってはここが現実で、外はニセモノの世界だ。(…) ここの住人たちはこの街を愛し、変わることのない過去を生きている。そしていつしかこの街は、リアルな過去の匂いに包まれた」。

 では、この街にイエスタディ・ワンスモアは何を託したのか。彼らの思想はどのようなものであり、何を実現したかったのか。これは簡単なようで難しい問題だ。彼らは単に過去へ戻りたかった (過去をそのままの姿で再現したかった) わけではないようなのだから。





3.1 イエスタディ・ワンスモアというユートピア思想

 思想家を「物事のあり方を問う者」を定義するならば、イエスタディ・ワンスモアは間違いなく思想家であったといえるだろう。彼らは、「理想の日本社会」を思い描き、それを実現するために、いわば革命を起こすために、活動していたのだ。

 浅羽通明は、思想家=革命家としてのイエスタディ・ワンスモア像を鮮やかに描き出している。彼によれば、イエスタディ・ワンスモアは現実の「20世紀」そのものを復興させようとしていたのではなかった。彼らのいう「20世紀」「昭和」とは、現実の過去をヒントに創造 (捏造) した「世の中のあるべき姿」なのである。しんちゃん一家とイエスタディ・ワンスモアは、それぞれが考える「あるべき姿」を掲げて競い合ったのであり、この映画はそのような思想戦を描き出していたのだ (浅羽,2008:75-76)。

 こうした浅羽の論に則るならば、本記事2.2のような (本当の高度成長期はそんなに良い時代ではなかったといった) 指摘はあまり意味をもたなくなるだろう。それも当たり前の話で、例えば昭和30年代ブームに対しては、ブームの渦中においても「昭和はもっと汚かった」とか、「昭和はもっと臭かった」といった批判が為されてきたのだが、別に「夕日町銀座商店街」に住む人々はそういう汚さを再現・追体験したいわけではないはずだ。彼らは、あの街で、特定の役割を (八百屋のおじちゃんや、たばこ屋のおばあちゃんなどを) 演じたいだけなのである。それが実際に昭和の再現になっているかについてや、まして彼らが元々どういう職業についていたかといったことなどは、あの空間にとってはどうでもよい。「昭和」らしい舞台で、自身の役割を演じる。それがあの空間の本質なのである。

 この話は後に広げるとして、今一度浅羽の論へと戻ろう。浅羽は、イエスタディ・ワンスモアの思想を、ユートピア思想の一種として解釈していく。イエスタディ・ワンスモアは、「実現すべき社会」を過去に投影することで、ユートピアを捏造した。彼らが夢想する明るい20世紀など、過去の一度たりとも実現していたことはないのだ。

 だが、浅羽によれば、過去像が捏造であることは、ユートピア思想にとって大きな問題とはなりえない。そもそも社会思想がユートピアを未来へ託すようになったのは近代においてであり、古代や中世を想起してみると、そこではエデンの園や堯舜の世といったようにユートピアが過去へと投影されていた。人々は理想の社会を過去に託し、それを模範としたのである (浅羽,前掲:77)。こうした浅羽の論は一定の妥当性をそなえたものであるといえるだろう。確かに、理想の社会が未来において実現すべきものとなったのは近代以降であるように見えるし、そもそもそうした社会像が生まれる前提条件、その一つであったはずの「平等」や「人権」という概念を生み出した社会契約思想もまた、「過去の (自然状態の) 人間はこうであったはずだ」「過去の人間たちがこうした必要性から法や権力を作り上げたのだ」といった形で過去に依拠していたのだから。

 そして、そのような視点から見ると、過去像が史実と一致しているかどうかは大きな問題ではなくなる。たとえ過去像が捏造されたものでも、それが世の中のあるべき姿を示し、そこから翻って現代を批判・改革するための視点を提供するならば、それは社会思想にとって十分に機能しているということになってしまう。こと保守思想において過去のイメージが (多くの場合、過剰に理想化されたものとして) 歪められてしまうのは、このような事情による。彼らは過去から、彼らの思想のために彼らなりの教訓を導き出すのであり、そうすることで逆に過去の像を書きかえてしまうのだ *1

 では、イエスタディ・ワンスモアが実現させたかった「理想の社会」とは、一体どのようなものだったのだろうか。


3.2 コミュニティという幻想


 ここで一度、現在の政治シーンへと目を向けてみよう。

 社会学者バウマンは “Retrotopia”(=『退行の時代を生きる 人々はなぜレトロトピアに魅せられるのか』,青土社,2018) という著書のなかで、未来を悪夢として捉え過去をユートピア化する思想を「レトロトピア」と表現している。バウマンらしい (悪い意味で) 詩的な著書の内容を理解するのは骨が折れるのだが、とりあえず彼は現代社会におけるいくつかの回帰現象をふまえて、人々の傾向が以下のように変化していると論じた。

 

「[進歩という発想が共有しがたくなったことは]不確かで信頼のおけない未来の改善に投資しようとしている一般の人々の気持ちを、おぼろげに記憶されている過去、安定と信頼性の高さが売り物である過去への投資に切り替えさせることになった。そうしたUターンが起こったことで、未来は希望と期待の住処から悪夢の場に変貌した。言い換えると、仕事とそれに付随する社会的地位を失う恐れ、残りの生活物資や『取り戻した』家財と持ち家を失う恐れ、子供たちが豊かな生活から転落するのを見守るしかない恐れ、自分が骨折って身につけたスキルが市場価値を奪われていく恐れに満ちた場に変わったのだ」(バウマン,2017=2018:14)。


 バウマンのいうところの回帰現象が我々の見る昭和ブームと一致しているかは定かではないが、似通ったところに位置していることは確かだ。例えばバウマンは回帰現象の一つとして「同族主義への回帰」を挙げているが、それら排外主義的な運動やナショナリズムの高まりが、しばしば「過去の理想化」と結合されていることは言うまでもない。多く排外主義的文脈で用いられる「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」という言葉のうちには、どこかイエスタディ・ワンスモアのあのユートピア、理想化された未来を存在しない過去に仮託するあのユートピアが隠れているようにみえる (我々の国でいうところの「美しい国へ」、それと昭和ブームとの関係については、後に見ることにしよう)。

 再び、浅羽通明へと戻る。保守論客である浅羽は *2、『ALWAYS』を分析するなかで、昭和ブームへの共感を次のように表明している。昭和はたしかに不便であった。不便だったが、だからこそ誰もに居場所があったのだと。

「未だ、貧しく不便だった昭和30年代は、それゆえに、日常を維持するだけでも、やらねばならぬ仕事が無数にあった。あったから、その数だけ人々の労働が必要とされ、誰にも居場所が空けられている、究極のワークシェアリング社会が営まれていた。そして、誰もが互いを必要としあっているという関係を、日々、互いに自覚してゆくために、感謝の言葉とか朝晩の挨拶とかがごく当然に必要とされ、愛だの信頼だのといった『心=人情』もまた、堅実なかたちで育てられていったのでした」(浅羽,2008:101)。


 この、進歩によって居場所が失われるという発想、進歩によって人情が失われるという発想は保守思想において根強く、保守の呼び水となっている感すらある。こうした社会像が実社会と照らし合わせたときにどの程度妥当なのかはかなり怪しいのだが *3、それでも例えば排外主義者らはこの世界観をかなりの程度信じているようだ。グローバル化によって、あるいは技術へのアクセスが容易になったことで、外国や移民に仕事を奪われた、それによって地域社会や自国、そこにおける温かみや誇りが衰退したのだと。ポピュリストは、そのような心情を焚き付けのし上がっていく。

 改めて「夕日町銀座商店街」に住む人々に注目してみよう。先に指摘したように、彼らはあの街において、特定の役割を演じている。ヒロシやみさえがヒーロー・ヒロインの姿を演じることを通じて20世紀博にのめり込んでいったように、彼らはあの街で自身の役割を見つけ出し、それを演じることによってその空間へとのめり込んでいくのである。八百屋のおじちゃん、魚屋のおばちゃん、スナックのママ、たばこ屋のおばあちゃん……。彼らは決して、あそこで自身の経験を再現しているわけではない (そもそもかつてと同じ役割を演じるならば、年齢が合致しなくなってしまうはずだ *4 )。あの街に必要な役割を演じることで、自身の居場所を発見していくこと、夕日町銀座商店街とは、そのような居場所提供の仕組みを担う場だったのである *5

 居場所の提供は、人びとに恒常的な関係性・安心を保証する。過剰な流動性に晒されている人々に対し、社会の流動性を低水準に留め、代替不可能性 (ほかでもなく自分が必要とされているという感覚) を保証してくれる居場所を提供すること、それこそがイエスタディ・ワンスモアの思想だったのかもしれない (北田,2011:208-209)。社会学者の北田暁大はイエスタディ・ワンスモアが持つこのような側面をコミュニティ主義と名付けたうえで、バウマン『コミュニティ』を引用している。我々もそれに倣ってバウマンのコミュニティ観を簡単に確認しておこう。


「要するに『コミュニティ』は、残念ながら目下手元にはないが、私たちがそこに住みたいと心から願い、また取り戻すことを望むような世界を表しているのである。(…)『コミュニティ』は、今日では失われた楽園の異名であるが、私たちはそこに戻りたいと心から望み、そこにいたる道を熱っぽく探し求めているのである。
 失われた楽園、あるいは、いまもって発見が待たれる楽園。いずれにしても、これはどう見ても、わたしたちが目下住んでいる楽園ではないし、経験上知っている楽園でもない。そうであるからこそ、それはまさに楽園なのであろう」(バウマン,2001=2017:10)。


 先に挙げた「レトロトピア」も、このようなコミュニティを求める思想における、一潮流であるといえるだろう。引用部でバウマンが指摘しているのは、現在多くの人びとは、想像上のコミュニティに過剰な幻想を抱いているということである。コミュニティはまるで楽園 (ユートピア) であり、人々はそれに熱っぽく浮かされている。おそらくはそうしたコミュニティという楽園が昭和30年代へと投射されることで、昭和ブーム式のレトロトピアは生み出された。

 そしてこの楽園は、ひとたび現実のものにしようとすれば、途端に他者へと牙を剥く。


「もしわたしたちが『現実のコミュニティ』の支配下にあるとすれば、そこから提供される、あるいは提供を約束される恩恵と引き換えに、厳格な服従を求められるであろう。安心が欲しいか? 自由を棄てよ、少なくとも自由の大半を棄てよ。信頼が欲しいか? コミュニティの外部の者はだれも信用するな。相互の理解を欲するか? 外国人に話しかけるな。外国語を使うな。この家庭的な居心地のよさを欲するか? ドアに警報器をつけ、私道には防犯カメラをつけよ。安全が欲しいか? よそ者を入れるな。奇妙な行動をとったり、おかしな考えをもったりしないようにせよ」(バウマン,2001=2017:10-11)。



 流動的になった現代において理想のコミュニティを実現させること、自分の居場所を守り続けようとすることは、すなわち自己と他者の自由を制限し、コミュニティ内外の境界線を明確に守るため「よそ者」を攻撃的に扱うことなどを意味する。排外主義とレトロトピアは、このように (コミュニティというものを軸として) 結びつくのである。

 ある意味では、映画が公開された当時よりも、『オトナ帝国』はアクチュアルなものとなりつつあるのかもしれない。一方では東京オリンピック大阪万博の再演によって、他方では今指摘したようなコミュニティ主義の高まり、それを通じた排外主義の高まりによって。おそらく、イエスタディ・ワンスモアは今日においてかつてより一層危険な思想となりつつある。ポピュリストらは、存在しないレトロトピアを作り上げることで、「それを壊した者」の存在までもを構築していく。彼らがいるから、彼らのせいで、我々が理想とするコミュニティは実現しないのだと。イエスタディ・ワンスモアがそのような論理を展開していたら、『オトナ帝国』の内容は一体どのようなものとなっていただろうか *6


3.3 これは幻想でしかない


 本節では、イエスタディ・ワンスモアの描き出す「昭和」が一つのレトロトピアであり、その核心にはコミュニティ主義が存在していることを指摘した。

 現在、過去を理想化し、そこから敵対関係を導き出すことは政治シーンにおいて一般的なこととなりつつある (そうした手法はかつてから存在していただろうが、ポピュリストの力が増しつつあるなかで余計に目立つようになってきた)。第2節においてわざわざ高度成長期を長々と検討した我々は、イエスタディ・ワンスモアをこうした流れのなかに位置づけたうえで、それに対しどのような姿勢を取るべきであろうか。

 やはり、愚直な道を選ぶべきであろう。それがいくら「史実」ではなく一つの「思想」であろうとも、偽りの過去を事実であったかのように扱い、それを「(過去に存在していたのだからきっと) 正しいのだ」と思いこませることは許されるべきではない。2節の繰り返しになるが、昭和30年代は夢や希望にあふれていたわけでなく、流動性が低かったわけでもない。また、女性や子供もその陰で犠牲にもなっていた。あの時代は「誰もにとって明るいもの」ではなかったし、「不便だからよかったのだ」とする見方は誰かの犠牲や苦しさを見ないうえで成り立つものでしかない。

 前節で述べたことをここでくりかえす必要はないが、少しダメ押しをしておこう。イエスタディ・ワンスモアへの思想的共感を表明する浅羽は、保守思想家の福田恆存が書いた「消費ブームを論ず」という評論 (1961) を引いている。浅羽はこの評論に「昭和ブーム」の思想 (流動性の低さ、居場所の提供、ワークシェアリングといった要素) を見出すのだが、ここで描かれる懐古的なビジョンは、(少なくとも私には) ずいぶん身勝手なものに見える。


「昔の人の生活が、今日では免れている日々の雑事に追われながら、それでも落ちついて見えるのは、そういう[自身の労働の目的への]迷いがないからである。女房は亭主や自分の着物を仕立てながら、衣服の目的は暖を取ることにあるのだから、その手段に一生懸命になるのは馬鹿馬鹿しいなどとは考えなかった。着るのが目的で縫うのが手段だとも考えなかった。縫うことが目的で、そういうことが自分の人生だと考えていたのである。女房は亭主の着物を造ることを通じて亭主と付きあっていたのだ。」


「それでは女房だけが損をしたのか。そんなことはない。亭主はそれを着ることで女房と付きあっていたのだ。造る側が損をして、着る側が得をするというのは、消費が目的で生産が手段だという今様の考え方である」(福田,1961 [漢字・仮名遣いは現代にあわせて改めた])。


 文明社会では、生産は消費のための手段となってしまった。そう論じる福田の社会観は、まさに「便利になると人情が壊れる」といった発想に基づくものであるといえるだろう。そして、そこにおいては、例えばミシンといった便利な道具が登場することは悪だとされ、女性は長時間の家事労働を通じて家庭へと縛り付けられるのである。「亭主」は「女房」の仕立てた服を着て、外に出ていくかもしれない。だが、「女房」はいくら服を仕立てようとも、いや、服を仕立てるというその作業のために、外へ出ていくことがかなわないのだ。ここに、大きな欺瞞がある。不便さが生む居場所、流動性の低さは、おそらく少なくない人にとって檻ないし鎖のようなものと感じられたであろう。その状況を理想化できるのは、やはりその欺瞞を生み出すことで利益を得ることができた (ここでいう「亭主」のような) 人々のみなのであった *7

 理想のコミュニティの実現は、排外主義に通じる。流動性の低さの実現は、人を特定の場所に埋め込み縛り付けることへと通じる。これがとりあえずの結論である。みなにとって幸せな、明るかったあの頃というのは、やはり幻想でしかない。幻想でしかないということを、歴史を辿って繰り返し指摘し続けること、それがイエスタディ・ワンスモアないしレトロトピア的コミュニティ主義に対抗する、一つのあり方である *8





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参考文献
浅岡隆裕 2004 「昭和30年代へのまなざし——ある展示会の表象と受容の社会学的考察」in『応用社会学研究』,46号.
浅羽通明 2008 『昭和三十年代主義 もう成長しない日本』 幻冬舎.
安倍晋三 2006 『美しい国へ』 文春新書.
市川考一 2010 「昭和30年代はどう語られたか “30年代ブーム” についての覚書」in『マス・コミュニケーション研究』,76号.
エーコ 1998 『永遠のファシズム』(和田忠彦訳) 岩波書店.
大塚英二 1996 『彼女たちの連合赤軍 サブカルチャー戦後民主主義』 文藝春秋.
加瀬俊和 1997 『集団就職の時代 高度成長のにない手たち』 青木書店.
北田暁大 2005 『嗤う日本のナショナリズム』 NHKブックス.
———— 2011 『増補 広告都市・東京 その誕生と死』 ちくま学芸文庫.
攝津斉彦 2013 「高度成長期の労働移動 移動インフラとしての職業安定所・学校」in『日本労働研究雑誌』,No634.
高野光平 2018 『昭和ノスタルジー解体』 晶文社.
武田晴人 2008 『高度経済成長』 岩波新書.
バウマン 2017 『コミュニティ 安全と自由の戦場』(奥井智之訳) ちくま学芸文庫.
———— 2018 『退行の時代を生きる 人びとはなぜレトロトピアに魅せられるのか』(伊藤茂訳) 青土社.
日高勝之 2014 『昭和ノスタルジアとは何か 記憶とラディカル・デモクラシーのメディア学』 世界思想社.
福田恆存 1961 「消費ブームを論ず」(in 1987 『福田恆存全集 第5巻』 文藝春秋).
布施晶子 1989 「イギリスの家族 サッチャー政権下の動向を中心に」in『現代社会学研究』,2巻.
古谷経衡 2015 『愛国ってなんだ 民族・郷土・戦争』 PHP新書.
町田忍  1999 『近くて懐かしい昭和あのころ——貧しくても豊かだった昭和30年代グラフィティ』 東映.
見田宗介 2008 『まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学』 河出書房新社.
矢部健太郎 2004 「ノスタルジーの消費 映画『クレヨンしんちゃんオトナ帝国の逆襲』分析」in『ソシオロジカル・ペーパーズ』,13号.
柳美里 2014 『JR上野駅公園口』 河出書房新社.
吉見俊哉 1992 『博覧会の政治学 まなざしの近代』 中公新書.
———— 2009 『ポスト戦後社会』 岩波新書.

国土交通省 2006 『平成18年度 国土交通白書』.
自民党憲法改正推進本部 2012 「日本国憲法改正草案」.
——————————— 2013 「日本国憲法改正草案Q&A 増補版」.
菅義偉事務所 2020 「菅義偉 自民党総選挙2020 政策パンフレット」.




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*1: もちろん、これは保守に特有のことというわけではない。歴史を活用した研究や歴史教育全般において起こりうることだ。例えば理論を導くために、あるいは現代への教訓を導くために、歴史像は歪められうる。しかし、少なくとも研究というものにおいては、そうした像の誤りを指摘されたときに修正を受け付けるための倫理や仕組みが用意されている。その点ではややここで取り上げた思想と異なるとは考えられるかもしれない。逆に、政治の場合は特定の社会像を提示するために歴史を扱うことが多く、ユートピア思想に近くなる。知識を重視しつつときに理想を語る教育の場合は、研究と政治の中間あたりに位置すると考えられるだろうか。このようにそれぞれの領域が歴史言説をどのように編み出し活用しているかはそれ自体とても興味深いテーマであり、この記事とは別にちゃんと考えていくべき事柄であろう。  なお、歴史を「今」と接続してなんらかの教訓を導き出そうとするのは多くの教師にみられる特徴であるが、これが時にどのような失敗を招くのかについては後日別の記事を上げる予定だ。

*2: 『ゴーマニズム宣言』の著者である小林よしのりとのつながりなどは有名だと思うのだが、そもそも『ゴー宣』自体今となってはあまり通じないかもしれない。

*3: とくに「人情」というもののあやしさについては、本記事2.2項ですでに指摘した。

*4: 例えば昭和30年当時にタバコ屋のおばあちゃんをやっていた人は、おそらくもう亡くなっているだろう。ソバを出前している男性も、昭和30年当時は少年だったはずだ。商店街の人びとが昭和30年当時と同じ職に就いていると考えるのは無理がある。

*5: 昭和ブームと居場所探しの関係性を描写してみせたアニメに、今敏監督『妄想代理人』がある。最終回で昭和 (の記号) の街並みへと迷い込んだ主人公は、失ってしまったはずの居場所を取り戻すのだが……。このアニメについて語ろうとすると追加で数千字くらい必要になってしまうので解説は避けるが、『オトナ帝国』を語るうえでは見ておきたいアニメである。

*6: 私はちゃんと見た・読んだことがないのでわからないのだが、浦沢直樹作『20世紀少年』はもしかするとそれをイメージするための道具たりえるのかもしれない。

*7: もちろん、「外に出たくない女性もいる」、そして「昭和30年代を理想だと考える女性もいる」。だが、それは問題ではない。ここで私が問題としているのは、女性が選択権を与えられず、(給与の与えられない家事労働に従事させられることで) 自立の可能性も奪われていること、加えてあたかもそうすることが女性にとって「自然」であるかのように認識されていることだ (戦時中などに女性がどのように労働へと従事させられたかを想起すれば、これがどのような欺瞞にもとづく考えなのかをより深く理解できるだろう)。また、「女性は家に縛り付けられただけではない。『ALWAYS』のように女性で集団就職した者もいたはずだ」という指摘も考えられるが、それに対しては2.2項で述べたこと (集団就職者がどのような職場に入ったか) を思い出してもらえれば良い。彼ら・彼女らは社会の穴埋め要因だったのであり、農村において労働力となりにくい女性がそのような穴埋めに従事させられたという側面を、忘れてはならない。

*8: ただし、こうした指摘があまり大きな意味を持ちえない可能性は高い。それについては5.3で触れる。