世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

歴史理論

インドにおけるカーストを対象とした比較社会学の再検討  (後半)

—比較社会学における問題の検討と、「人々の作り上げ」を考慮することの必要性について— Ⅲ カーストにおけるヨーロッパとインドの相互作用 ― カーストの構築性について (1) ヒンドゥー教の発見と構築 (2) 法分野におけるカーストの実体化 (3) 国勢調査におけ…

インドにおけるカーストを対象とした比較社会学の再検討  (前半)

—比較社会学における問題の検討と、「人々の作り上げ」を考慮することの必要性について— Ⅰ. 序 ― カースト研究の検討を通じて、比較社会学における課題を明らかにする Ⅱ. ルイ・デュモンの比較社会学 ― インドとヨーロッパの違いをどのように捉えるか (1) デ…

歴史における諸概念とどう向き合うか

以下の文章は、もともと古代中国における行政区分の変遷を論じる記事の冒頭となるはずでした。 残念ながらその記事はお蔵入りしてしまったのですが、最初に述べていることはまぁ大切なことなので公開しておきます。

スメルサー『社会科学における比較の方法』 全体の内容と意義

先の記事では、スメルサー『社会科学における比較の方法』3章の内容をまとめました。 以下では、3章の内容と絡めながら、本書全体の議論の再記述を試み、本書の意義について検討します。

スメルサー『社会科学における比較の方法』 : ウェーバーとデュルケムの方法論的な差異について

本記事は、スメルサー『社会科学における比較の方法』(玉川大学出版部,1976=1988) 第三章「比較社会学のプログラム」の内容をまとめたものです。この記事でウェーバーとデュルケムの方法論的な差異を確認したうえで、次の記事にて本書全体の内容をまとめます…

なぜ、歴史を見る上で抽象的な概念化が必要なのか

さて、先の記事では政治体を捉えるための抽象的な視点を用意しました。これは歴史に関して何か具体的な事柄を教えてくれるような性質のものではありません。どちらかといえば予備的考察に属するものです。しかし、私は (プロではなくアマチュア的に) 歴史を…

「国」や「組織」をどのように捉えるべきか ― 自己同一性という指標

さて、アッシリアに関する記事では、「なぜ1400年も続いたのか」という問いに対して自己同一性の観点から見ていきました。自己同一性とは「自分と他人を区別し、自分が自分であると認識すること」です。先の記事では、アッシリアは土地=神アシュールを軸と…

世界システム論 ― バラバラではなく、結びつき互いに関係しあうものとして諸地域の状態を捉える視点

1. 本記事の目的 2. システムとは何か 3. ウォーラーステインの提示した世界史像 4. 世界システム論のなにが新しかったのか 1. 本記事の目的 ここでは、世界システム論について説明します。とくに、世界システム論における「システム」とは何を指し、それが…