世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

『平成たぬき合戦ぽんぽこ』に見る戦後史:あるいはこの社会が通り過ぎた景色について

0. 戦後日本社会が通り過ぎてきた光景について考える


 『オトナ帝国』について書いた勢いで、『平成たぬき合戦ぽんぽこ』(以下、『ぽんぽこ』) と戦後日本社会についても書いてみようと思う。この映画から、日本社会の何を考えていくことができるだろうか。

 『ぽんぽこ』を題材にしながら本記事が描き出していくのは、消費社会化に伴って様々な「運動」が終焉を迎えていく日本の姿である (『オトナ帝国』記事4節で軽く触れた内容について、異なる視点から見ていく記事だと思ってもらえば良い)。本論へと進む前に、記事の構成を述べておこう。第一節では、藤子・F・不二雄の短編作品を取り上げながら、1960年代~70年代当時の社会状況を確認していく。第二節では、そうした社会において進められたニュータウン開発がどのような性格を有しており、農村社会にどういった変化をもたらしたのかを見る。第三節では、たぬきらの「妖怪大作戦」がなぜ失敗したのかを分析しながら、日本の消費社会化が何をもたらしたのかを考える。そして、第四節では分裂したたぬきたちの行く末を、戦後日本社会における諸事件と結びつけながら記述し、それぞれの敗北を描き出していく。

 以上のような内容を通じて私は、戦後日本社会が通り過ぎてきた様々な光景を描き出したいと考えている。その光景を確認し、そこから振り返って、私たちが現在どのような地点に立っているのかに思いを至らせること。それがこの記事の狙いである *1

 なお、先の『オトナ帝国』記事とは違って、本記事の内容を高校「現代社会」などの授業で扱えるかはかなり怪しい。しかし、少なくとも経済史がカバーできない側面 (教科書のなかであまり触れられない日本社会の側面) について考えるためのきっかけくらいにはなるかもしれない。また、先の『オトナ帝国』に比べるとかなり短い記事になっている。安心して (?) 読み進めてもらいたい。









1. 1970年代の不安:藤子・F・不二雄作品における人口増加への怖れ

 藤子・F・不二雄が1974年に公開した「間引き」という漫画をご存知だろうか (『ミノタウロスの皿 藤子・F・不二雄 異色短編集1』などに収録)。コインロッカーへの赤子遺棄をめぐる短編である。テレビで取り上げられネットでも有名になったストーリーなので、知らない方は検索をしてみてほしい。

 舞台は人口爆発によって食糧が配給制になり、人々が飢え始めた世界。そこではコインロッカーへの赤子遺棄事件が多発し社会問題となっていた。そんななか、コインロッカーの管理人である主人公のもとに、遺棄事件を取材したいという記者が現れる。迷惑がる主人公に対して、記者は次のような自説を開陳しはじめた。いわく、コインロッカーへの赤子遺棄は人口爆発に応じて人間が自己の個体数を調整しつつあることの表れである、と。「あらゆる愛情が、最近急速に消滅しつつある」のは、そうした個体数調整の兆候であり、コインロッカーベイビーはその一端であると、彼は主張するのだった。

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藤子・F・不二雄「間引き」より (『藤子・F・不二雄 異色短編集1 ミノタウロスの皿』収録)



 正直なところ、この漫画のなかで繰り広げられる人口論は、荒唐無稽であり面白みもない。また、「愛情が欠如」したから赤子遺棄が行われているという前提にはあまりにも多くの偏見や誤解が含まれている (そうした事件は、もっとやむにやまれぬ事情で起きることが多い *2 )。そうした部分についてはさておき、ここで注目しておきたいのは、『間引き』という漫画が、「このまま人口が増え続けたら、社会はどうなってしまうのか」という問題意識に貫かれているということである。

 藤子・F・不二雄のSFは、「少子高齢化」という言葉に囲まれてきた私のような世代の人たちには、やや理解しにくいものになってしまっている。他にも例を挙げておこう。例えば1973年に書かれた「定年退食」という話では、「生産者2.73人で年金生活者ひとりを扶養」するようになった社会で、老人が無碍にされる様子が描かれる (『気軽に殺ろうよ 藤子・F不二雄 異色短編集2』などに収録)。現在の我々でも、余裕がなくなった社会において真っ先に老人が見捨てられるという設定は、簡単に受け入れることができるだろう (それが正しいかどうかはさておき、そういう近未来像を想像してみるのは容易だ)。だが、中盤以降の展開が、やはり現在の我々から見るとなかなか不思議なのだ。首相はこの事態に対して次のように対策を打ち出す。


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藤子・F・不二雄「定年退食」より (『藤子・F・不二雄 異色短編集2 気軽に殺ろうよ』収録)

「みなさんご承知の如く、昨今の食糧事情の急速なる悪化……


 ついに……この定員法を大幅に縮小の止むなきに至ったのです。


 一時定年を56歳とします。それ以上の生産人口をわが国は必要としません。


 二次定年を57歳から73歳までとします。それ以上の扶養能力をわが国は持ちません。


 73歳以上のかたがたは本日をもって定年カードの効力を失うものとします。


 年金、食料、医療 その他一切の国家による保障を打ち切ります。」



 先に述べたように、老人への保障を打ち切る展開は理解できる。面白いのは、「生産人口」削減のために56歳を仕事における定年として設定している点であろう。定年を延ばして生産人口の減少を補おうとする現在の状況とは、真逆の対策が講じられているのだ *3。これはもちろん、藤子・F・不二雄が、「人口が増加し続ける未来」を前提に置きながらストーリーを作っていたからこその展開である。要は、これからも子どもは多く生まれてくるので、生産人口は十分足りる、老人にはむしろ早く引退し死んでもらわないと困る、というわけだ。現在の社会認識が「子どもは減る、高齢者は増える。だから定年を延ばして生産人口を増やさないと社会保障がもたない」というものであるとするならば、藤子・F・不二雄の認識においては「高齢者は増える。子どもも増える。だから、高齢者には早めに引退してもらおう、といった話がそのうち出てくるはずだ」となっているのである *4。ここに、現在を生きる我々と藤子・F・不二雄との断絶がある。

 「定年退食」という話のなかでは「子どもは増え続ける」という前提に直接触れられるコマがない。そのため、「人口増加」への恐怖というものを内面化していない私たちは、この首相の声明に対して奇妙な違和感を覚えることになる (少なくとも私は、一読にして理解することができなかった)。逆にいえば、マンガが掲載された当時は、特に断りなく「人口増加」の不安を前提にして話をつくることができたということだろう。漫画家も読者も、そうした想定を当たり前のように共有していたのだ。

 では、なぜ彼らはそうした不安を共有できたのだろうか。これにはおそらく当時の社会状況が関係している。「定年退食」が公開された1973年にはオイルショックが起こり、「間引き」が公開された1974年に日本は戦後初のマイナス成長を記録した *5。一方では高度成長期に弾みをつけた人口増加の勢いが止まらず、他方で経済には大きなブレーキがかかってしまった時代 *6。藤子の両作品は、こうした時代を背景にして作成されているのである。

 『ぽんぽこ』で描かれるニュータウン開発を見る際にも、我々は藤子の不安に思いをはせながらそれを見ていく必要がある *7。1960年代から都市部への過剰な転入超過が続き、それが大きな問題として認識されていた時代。「果たして、増えていく人口を現在の居住区内で賄うことはできるのだろうか」、そうした不安が確かな存在感を持っていた時代。そうした時代を背景にしてこそ、ニュータウン計画というものは十分に理解することができる。それは人間の居住地域を開発によって無理やりにでも広げるための計画であり、そうした計画のなかで初めて、山林地帯・農村地帯は人間とたぬきの闘争の場へと変貌していったのだ。『ぽんぽこ』の冒頭でおろく婆に焚きつけられたたぬきたちは、鉄塔の上から山を見渡し、初めて自分たちの敵が同じたぬきではなく人間であったことを理解する。これはそれまで山という場が、たぬき同士の縄張り争いの場であっても、人間とたぬきの縄張り争いの場ではほとんどなかったことを示唆していよう。たぬきたちはニュータウン計画を通じて、新しい次元の闘争へと巻き込まれていったのである。



2. 舞台となる「ニュータウン」:農村の消失と郊外の誕生

 高度経済成長期の1965年、当時は農家集落であった東京の多摩にニュータウンをつくる計画が立ち上がる。増えすぎた都心人口を移住させるために、「郊外」の計画的な開発が行われることになったのだ。

 当時すでに都心ではスプロール現象 (虫食い状の乱開発) が進行しており、効率的な公団住宅を大規模に開発できるような状態ではなかった。他方で、増加していく人口に対し住居を安定的に供給する必要性は年々高まっていき、それが「郊外」の計画的開発を始動させることとなる (ニュータウンについての参考:「UR都市機構 多摩ニュータウンガイド」)。

 計画的な都市開発は、特定の開発思想に則って街を形成し、そこに人を組み込むことを意図する。もちろん実際その意図通りに開発が進むかどうかは個々の現場事情によるのだが、少なくともその初期段階にはなんらかの思想が存在している。では、多摩ニュータウン計画における思想とはどのようなものだったのだろうか。当時の資料を見ていくと、そこでは「近隣住区論」と呼ばれる考え方が中心になっていたことがわかる *8。幹線道路の計画配置によって小規模のコミュニティを作り出し、小学校などの各インフラを均等配置していくことで、複数のコミュニティのもと有機的な生活を送ることのできる街をつくりだす。そうした開発思想に則り、当時まだ農村地帯であった多摩において、コミュニティを意図的に形成しそこに新たな住民を組み込んでいくための大規模な開発が行われたのだ。

 新たなコミュニティの創造を意図する開発は、周囲の自然環境だけではなく、もともとそこに住んでいた人々の生活をも変化させざるをえない。おそらく、旧住民たちは激しい変動を経験したはずである。例えば、代々所有してきた土地を売り渡すといった形で土地を離れた者もいただろう。あるいは、サラリーマン家族の生活に組み込まれる形で生活を変容させていった者もあったはずだ。吉見俊哉は、郊外化に際して当時農村地帯に起きていた変化を、以下のようにまとめている。

「1970年代以降の郊外化において重要なのは、それが既存の大都市の連続的な拡張というよりも、それまで単なる近郊農村でしかなかったところが、突如、ニュータウン開発の波にさらされ、市街地化していくケースが多かったことである。首都圏や関西圏の膨大な地域で、近郊農村に急激な宅地開発の波が及び、土地が買い占められ、サラリーマン家族から成る新住民が旧住民の農民たちを圧倒していく現象が生じていった。また、それらの地域に古くから住んでいた農民たちも、開発のなかで兼業化し、やがて駐車場やアパートの経営で生活を支えるようになり、農民としての社会的性格を失っていった。」(吉見俊哉『ポスト戦後社会』,岩波新書,2009:92)。



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1964年の多摩地域。まだ山林などが残っていることがわかる。(東京都都市整備局「多摩ニュータウンの魅力」より引用)
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1970年の多摩地域。すでに畑や森は消え、団地ができ始めている。(東京都都市整備局「多摩ニュータウンの魅力」より引用)



 『平成たぬき合戦ぽんぽこ』のラストは、開発がもたらしたこのような変化を、目に見える形で観客に対し提示するのである *9。たぬきたちが幻覚として見せる「かつての姿」は、旧住民にとっても「かつて」の、すでに失われてしまった景色・生活を映し出すのだった。





3. 運動の時代から消費の時代へ : 妖怪大作戦は何に負けたのか

 1983年、千葉県浦安市に「東京ディズニーランド」が開園する。当時の日本において画期的なテーマパークだと評価された東京ディズニーランドでは、園内から外の景色を見ることができない。東京ディズニーランドは外の景色を隠すことで、「日本」や「浦安」といったその土地の風景 (土着の風景) からは切り離された独自の空間を作りだし、そこに夢と魔法の国を出現させたのである (吉見俊哉「遊園地のユートピア」,『世界』528号,1989. 北田暁大『増補・広告都市東京』,ちくま学芸文庫,2011)。

 このような空間の切り離し、そうした空間において街を人為的に構築し演出していくことは、1970年代~1980年代の日本で盛んに行われていた。先に述べたようなニュータウン開発がその先例であり (例えば軽井沢レイクニュータウンではヨーロッパ避暑地を演出するためレマン湖と呼ばれる人口の湖が作られたりした[参考:「レイクニュータウンホームページ」])、そうした開発思想が都心近くにまで及んだのが1970年のパルコによる渋谷公園通り再開発などであったといえるだろう。これらの開発は、ただデパートを作るのではなく、街全体を一つの演出に沿った空間として作り上げることを目的としていた。いわば「街のテーマパーク化」が行われたのである (吉見:前掲)。

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多摩テックの外輪船 (多摩テックホームページ「多摩テックの歴史」より引用)



 実は、人間との闘争においてたぬきたちを敗北させたのは、こうしたテーマパーク的な空間、その想像力に他ならない。物語の中盤、たぬきたちは「妖怪大作戦」によって状況の巻き返しを図り、失敗する。これが大きなきっかけとなってたぬきらは分裂・敗退していくのだが、そもそもなぜこの作戦は失敗したのだろうか。これを考えてみよう。

 たぬきたちは、自身らの運動を展開するにあたって、「祟り」という土着の (つまりその土地に根差した) 想像力を利用していた。例えば彼らは狐の姿で神社仏閣の屋根に現れることで人間たちをひれ伏させ、開発を遅れさせようとする (そして、それは実際に一定の成果を収めた)。四国から来た長老らもまたこうした可能性を信じたからこそ、「妖怪大作戦」なるものを計画したのである。

 しかし、実際に「妖怪大作戦」が実行されると、その手柄はワンダーランドの社長によって簡単に横取りされてしまう。「地元の神の祟り」も、「夢と魔法の王国」のなかでは、作られたファンタジーへと簡単に組み込まれ解毒されてしまうということだろう。これは、(作中で四国の長老らが嘆くように) 農民たちが生活のなかで作り上げてきたリアリティが、消費社会のリアリティへととって代わられつつあること、そのなかで、土着のもののイメージが人々のなかから姿を消していったことの表れなのであろう。

 あるいは、これはある面では、「運動の時代」の終わりを表しているのかもしれない。吉見は大塚英二北田暁大らの著書に基づきつつ、1960年代の学生運動を「思想による自己実現」と評し、そうした若者の動きが1970年代以降は「消費による自己実現」へと徐々に変化していったとまとめている (吉見:前掲)。暴力的手段によって人間に訴えかけるゴン太が学生運動を体現していたとするならば (高畑勲の経歴を考えると、労働争議などを想像した方が良いのかもしれないが)、その敗北はある種の必然であったと言えるかもしれない。

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東大紛争の様子 (朝日新聞ビジュアル年表 写真と映像でふりかえる戦後70年」より引用)



 そして、いずれにせよ言えるのは、たぬきたちは映画の冒頭の時点で既に人間への敗北を決定づけられていたということだ。映画の冒頭、たぬきたちは会議の席で、おろく婆の用意した「マクドナルドのハンバーガー」に殺到する。それは、まさに彼らもまた消費社会というものに組み込まれて生きているということ、そのようなものから逃れて農村集落の生活を続けることはできないのだということを、示唆している *10



4. それぞれの敗北 : 運動のゆくすえを見つめて

 妖怪大作戦の敗北後、たぬきらは以下のように分裂していく。ここでは、それぞれの末路から連想される日本社会の出来事を取り上げていくことにしよう。



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 まずはゴン太らのように過激な運動をつづけた人たちについて見ていこう。結局のところゴン太たちは機動隊と衝突し敗北する。これはそのまま学生運動の終わりを象徴しているように見えるのだが、現実の運動では周知のとおりその衰退期に大きな事件があった。1972年、弱体化した学生運動団体同士が結成した連合赤軍が、人質とともに10日間山荘に立てこもった「あさま山荘事件」である。有名な事件なので詳しく書くまでもないだろうが、彼らはあさま山荘に立てこもる前に、集団リンチによって10名以上の仲間を「総括」の名のもとに殺していた (いわゆる山岳ベース事件)。先に触れたように、多分にテーマパーク的な開発が行われた軽井沢レイクニュータウン、その付近で起きたこの事件は、私たちの社会の何を象徴していたのであろうか *11

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あさま山荘事件の様子 (朝日新聞ビジュアル年表 写真と映像でふりかえる戦後70年」より引用)



 特攻策で敗れたゴン太たちに対して、残された正吉たちは転向し人間として暮らすことを選ぶ。なかには不動産業につき自分たちの山を売りさばくたぬきもおり、彼らや通勤電車でゆられる正吉の姿からは、土地投資が過熱し経済がバブルへと突入していく日本の姿を見ることができるだろう。作中で印象的に描かれる栄養ドリンクは、まさにこうした時代を象徴するものであった。リゲインの「24時間戦えますか?」というCMが流行したのは、平成の元年である (参考:NHK NewsWeb「24時間戦えますか? 栄養ドリンクの30年」)。

 自分たちが戦っていた敵であるはずの人間社会に入り込み、その社会を支えるサラリーマンとなって働く正吉。彼の姿は、学生運動にかかわっていた1960年代当時の学生たちの多くが、その後転向し消費社会に組み込まれ、のちに大企業の一戦士として (あるいはすでに重役として) バブルを支えたであろうことを、示唆している。


 最後に、変化できないたぬきたちが、宗教的な熱狂と共に「死出の旅」へと旅立ったことにふれておこう。『平成たぬき合戦ぽんぽこ』が公開されたのは1994年のことであったが、日本社会において「宗教的な熱狂から死を選んだ」事件のことを考えるにあたっては、1994~1995年の「オウム真理教事件」のことを無視できない。宗教団体オウム真理教を取り巻く事件にはさまざまなものがあるが、最も規模の大きいものが「地下鉄サリン事件」であった。国家の転覆を狙ったとされるオウム真理教の信者が、東京の地下鉄で有毒物質であるサリンをまき、約6300人を負傷させる。もし今と違う世界を実現させるために行動を起こすことを「革命」や「運動」と呼ぶのであれば、これは戦後最悪の「革命」的「運動」であったということもできるかもしれない。

 この事件は真空状態のなかで突然起きたわけではない。オウム真理教が力をつけた背景には、1980年代後半からのオカルトブームがある。ノストラダムスの大予言、コックリさん、マイバースデイ、前世少女、ユリ・ゲラー……例を挙げれば尽きることがないほどに、様々なブームがあった (余談だが、月間ムーのウェブサイトで当時の学校文化の様子を垣間見ることのできる記事が連載されている。これがとても面白い[参考:昭和こどもオカルト回顧録])。よく言われるように、新興宗教団体がバラエティ番組に出演することもあった。オウム真理教はそうしたオカルトブームに乗じて1980年代に組織を拡大させてきたのだ。

 高畑勲は、オカルトに沸くこの世相をどのようにとらえていたのだろうか。残念ながらインタビュー等を確認したわけではないのでわからない。しかし、運動に敗れた人々が集団で宗教にはまり自殺していく (死出の旅に出る) あのラストは、やはりこの世相を背景に捉えておく必要のあるシーンだといえるのではないだろうか。


 以上3つの末路を確認してきた。それぞれ全く異なるものを扱ってはいるが、どれも戦後日本社会における「運動」の敗北の光景であったといえるであろう。「平成たぬき合戦ぽんぽこ」が描きだしているのは、このようなどうしようもない敗北のシーンなのである。生き残った、あるいは取り残された正吉らが最後の最後に、力のすべてを出し切ってできたのは、取り戻せない景色へのノスタルジーに浸ることでしかなかった。そしてそのノスタルジーもひと時の夢でしかない。子どものころの自分を見つけて走り出してみても、その景色はあっけなく住宅地とはげ山に変わる。おそらくはこのあっけなさを通じて、たぬきたちは自分たちの敗北をハッキリと突き付けられ、それを受け入れるのであろう。消費社会へと移り行く流れの中で、彼らは「かつて」の景色が取り戻せないものであるということを、皮肉にも自身の変化 (へんげ) を通じて再確認し、そうすることで人間として生きることを覚悟するのである。



5. むすび:消されてしまった景色について


 以上、「平成たぬき合戦ぽんぽこ」の舞台や、そのストーリーから連想される出来事に触れつつ戦後日本社会を簡単にふりかえってみた。ここからわかるのは、多摩地域の変貌を描くこの作品が、戦後日本社会の様々な風景を (監督の高畑らがどこまで意識していたかは別として) 反映しているということである。たぬきたちの運動と敗北、そのそれぞれの末路は、この社会が通り過ぎた多様な変化のことを、この社会から消えてしまった景色のことを、私たちに伝えている。

 最後に、「残されたたぬき」であるぽん吉の言葉に触れておこう。我々は、ときに過去の美しい風景を思い出し、その風景が「消えてしまった」と嘆いたりする。しかし、映画で描かれるような日本社会の風景の変貌は、ほかならぬ「人間たち」が、自ら生み出したものなのである。土着の風景を破壊して、そこにテーマパークを作り出したのは、紛れもなく「人間たち」なのだ。「でも、ウサギやイタチはどうです? 自分じゃ姿を消せないでしょう?」というポン吉の言葉は、消されてしまった景色や生き物についての責任を、我々に対して投げかけている。












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*1: こうした狙いもあり、およそ1960年代~1990年代までの日本社会を通覧する形になるよう記事を構成した。多くの内容に触れているため、やや各節の内容とそのつながりが散漫になっているきらいがある。「『ぽんぽこ』という映画一つから色々なことを考えていくことができる」というエッセイ的な記事なので、あまり気負わずに読んでほしい。

*2:例えば、最近の事例として2020年12月10日に起訴された外国人実習生女性の事件を挙げることができる (リンク)。外国人実習生のなかには「妊娠すれば帰国させられてしまう」とおびえ妊娠を相談できない人が多いと指摘されるが、これは「愛情の欠如」といった「心の問題」ではなく、社会保障や労働環境、雇用制度といったものの問題であるはずだ。「子どもを愛していれば遺棄なんてしない」という想定は、問題を個人 (の心) に帰責することで、こういった側面を見えにくくしてしまう。

*3: ちなみに作中で二次定年と呼ばれているのは年金支給期間のこと。要は、73歳以上になると年金すらもらえなくなってしまうのである。彼らは「定員」ではなくなり、社会から要らない存在となってしまう

*4: 一応説明しておくと、1968年時点で政府は定年延長を打ち出しており (「定年延長の促進について」)、その時点で定年制を有する企業は7割、その多くは55歳を定年としていた (柳澤,2016)。したがって藤子・F・不二雄の56歳定年という設定は当時一般的だった定年年齢にあわせてつくられたものであり、そこに面白みはない。重要なのは、「それ以上の生産人口をわが国は必要としません」という物言いのなかに、人口増加に関する現在とは全く異なる想定が隠れているということの方である。

*5: ここらへんの流れは『オトナ帝国』記事2節で触れたので、くわしくはそちらを参照。

*6: 実際には1970年代に入ると、少なくとも都市部への転入超過については落ち着きを見せている。しかし、ここで重要なのは藤子をはじめとする当時の人びとにとって社会がどのように見えていたのか、ということのほうだ。

*7: なぜわざわざ藤子・F・不二雄を例に挙げながらこうした話をしているかというと、例えば高校生に『ぽんぽこ』を見てもらうにしても、彼らはその背景となる社会状況にまで考えを巡らせることがなかなか難しいようであるからだ。確かに、高校生は高度成長やオイルショック、マイナス成長といった言葉を知識としては覚えている。しかし、『ぽんぽこ』という作品を見るときに、その知識を背景としながら、当時の人びとが抱えていた不安、ニュータウン計画の背後にあった都市状況などについて思いを馳せることはなかなか難しいようなのである。大抵の場合は、「環境破壊」の問題といった側面からのみ作品の内容を捉えてしまい、当時特有の社会状況にまで思いを至らせることができない。だから、「環境は大事だ」という、あまり具体的ではない感想を抱いて終わってしまう。  あえて藤子・F・不二雄を取り上げたのは、社会の状況とあまり関係ないように思われるSF作品などであっても、やはりその当時の時勢を反映しており、また当時の文脈に位置づけて考えてこそ理解できる部分を持っているということを強調するためである。

*8: 近隣住区論とは、ペリー『近隣住区論 (The Neighborhood Unit.)』(1929=1975) において提示された考えである。大都市における近隣関係の衰退、当時増加しつつあった自動車事故への対応、そうした課題に対してペリーは以下のような対策を提案した (以下、『社会学文献事典』の該当項目から引用。 「① 大都市を平均人口6000人程度の小地域に分割し、これを単位として町づくりをはかる。② 住区の中心に小学校を配置し、児童の生活を基本にした町づくり、③ 住民の関心を地区の中心に向けるため、地区の中央に魅力的な広場と公共施設を設け、その利用を通して住民のふれあいを促進する、④ (市街地では) 幹線道路を境界として車の通過を促し、また ⑤ 住区内の道路は細く運転しにくいものとして通過交通の侵入を防ぐ、⑥ オープンスペースを広く、⑦ 店舗は住区の周辺 (後に中心) に置くこと、等」(弘文堂『社会学文献事典』:528)。この構想を実現しようとするならば、開発はかなり大規模で徹底したものとならざるをえないだろう。

*9: ジブリ作品『耳をすませば』の舞台は、『平成たぬき合戦ぽんぽこ』と同じ多摩丘陵に属する聖蹟桜ヶ丘である。この街はやはり1960年代以降に開発が行われ、分譲地となった。1990年代を舞台にしていると思われる『耳をすませば』では、『ぽんぽこ』のラストで提示されるような “かつての景色” が姿を現すことは全くない。すでにそれらの景色は失われてしまったのである。 なお、このように開発され、かつてはあこがれの的だった聖蹟桜ヶ丘 (ないし多摩ニュータウン全体) が、現在では住民の高齢化を経てゴーストタウンになりつつあることは感慨深い。斜面の多い丘陵地帯に多くの人間が住み続けることは、やはり困難だったのだろう。こうして人口が減少していくにつれ、次第にまた街は自然におおわれ、動物たちだけが住むようになるのかもしれない。やはり、我々は藤子・F・不二雄のSFからずいぶんと遠いところに来てしまったのだ。

*10: 『オトナ帝国』記事の4節において、イエスタディ・ワンスモアのケンは、思想上「政治的革命」を志しながらも実際には消費社会に抗えなかったことを指摘した。この映画におけるたぬきたちも同様の存在であったといえるだろう。闘争の重要性を理解しながらも、度々「テレビ」が伝える映像に魅了され、人間たちの物を欲しがってしまう彼らは、「政治」と「消費」との間で引き裂かれている。そうした矛盾のなかで運動は敗北し、たぬきたちは分裂していくのである。

*11: 『オトナ帝国』記事の注において触れたように、大塚英二は山岳ベース事件について、「連合赤軍の人々は山岳ベースで言うなれば消費社会化という歴史の変容と戦い、それを拒否し、敗れていったのである」とまとめている (大塚英二『彼女たちの連合赤軍』,文藝春秋,1996:31)。これは『ぽんぽこ』で描かれるたぬきたちの姿にある程度まで重なるといえよう。