世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

スメルサー『社会科学における比較の方法』 : ウェーバーとデュルケムの方法論的な差異について

 本記事は、スメルサー『社会科学における比較の方法』(玉川大学出版部,1976=1988) 第三章「比較社会学のプログラム」の内容をまとめたものです。この記事でウェーバーとデュルケムの方法論的な差異を確認したうえで、次の記事にて本書全体の内容をまとめます。




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 4章・5章では、デュルケムとウェーバーがどのように比較研究を実行したのかを見ていく。それに先駆けて、この3章では彼らがどのような理論的・方法論的言説を発表したのかが整理されている。その作業を通じて、「比較分析において遭遇する主要な方法論的ジレンマ」が、またそのジレンマのおかげで全く反対の方法論的パースペクティブから出発する彼らの議論が、実践的プログラムにおいてはかなり似通ったということが見えてくる (:52-3)。


1. 社会学における科学的知識:社会学における知識をどのような性質のものとして想定したのか

 
 デュルケム デュルケムは、社会現象を自然科学と同様に、観察・記述・比較するべきだと考えた (:53)。彼は先入観を排除して社会現象を観察すべきだとし、また社会現象は「ものの本質」に基づいて分類できるとした (:54)。しかし、「あらゆる先入観を排して経験的現象という現実的世界に自ら語らせること」は可能だろうか。経験的現実が複雑であり、多様な側面をもって現れる以上、観察にあたっては「経験的世界の諸側面を選択する基準」が必要となるはずである (:55)。

 ウェーバー ウェーバーはむしろ、社会・文化に対する科学的知識は、ある側面を選択しそれを単純化することから生み出されたとし、そうした選択は科学者の志向によるものであると考えた (:55)。では、どのような基準から科学者は側面を選択するのだろうか。諸法則から事物の配置を演繹できない以上、社会科学的関心はまず「歴史的配置 (歴史的事情と状況)」に向けられると彼は論じる。そうした配置は文化的にも意義のあることであり、科学者はそうした「価値制約的な関心」のもとで事象を観察している (:56)。事象に意味を与えるのは科学者なのである。
 

2. 社会学が対象とする事柄について:どのような事柄こそが社会学の対象であると論じたのか


 デュルケム デュルケムは社会学の対象を「社会的事実」であるとみなした。これは「(1) 個人意識から独立したものとして定義されるべきであり、(2) 心理学的観点からは表現できない、それ自体に固有な規則性をもって現れることが予想され、(3) 個人の行動に影響を与えることが予想されるもの」として想定されている (:58)。このようにしてデュルケムは、(方法論上は) 心理学的なものと区別される社会的レベルを設定しようとしたのである。

 ウェーバー ウェーバーは社会的行為を対象としたが、行為とは行為者が行動に主観的意味を付与する限りにおいて行為であるとし、また他者の行動へと方向づけられている限りで社会的だとすることで、明確な心理学的レベルを社会学の対象に組み込んだ (:59)。また、行為の主観的意味複合は生理-化学的反応へと還元できないとすることで、注意深く心理学一般との行動を避けた (:60)。
 
 二人の理論家の差異は、研究者 (観察者) と行為者 (被観察者) の役割をどのように概念化したのかという点からまとめることができる (:63)。


3. 社会学的研究における分類:社会学の対象を設定するために、どのような分類を行ったか


 デュルケム デュルケムは社会的事実の意義を評価するにあたり「正常 / 病理的」というカテゴリーを用いるべきだとした。そのカテゴリーについて、彼は一方で正常かどうかを決めるのは社会的事実の統計的一般性によるとしたが、他方では現在であれば「機能的有意性」とも呼べる視点にも言及している (:64-5)。それは彼が、ある事実の有意性は、その事実の社会的文脈 (種の発展のレベル) にもよると考えざるをえなかったことを意味している (:65)。
 彼は事例の一般化を企てるにあたって、諸事例 (それぞれの社会的事実) を社会的種に分類することを提案した (:66)。そうすることで、科学的研究が要求する統一性と、事例の多様性を上手く合体しようとしたのである。しかし、彼はその作業にあたり、「諸事例の研究」には深入りしないまま「ホルド」という単純社会を想定し、それに基づいて分化の程度から諸社会の類型化を行った (:67)。
 ここにおいて、デュルケムは研究者の受動性に関する彼自身のパラダイム的主張からすでに逸脱している。「経験的現実のなかに存在しない仮説的に純粋な類型を生み出すことによって、経験的現実を歪めることの正当性を認めていた」ことになるのだから (:67)。

 ウェーバー 事例の一般化にあたりウェーバーが直面するのは、「社会的事実の主観的評価がまったく多様な個々人を、いかにお互いに比較できるのだろうか」、またいかにしてそこから「社会的制度と社会構造のレベル」に移行することができるだろうかという問題であった (:68)。そこで登場するのが「理念型」である。理念型とは、個々の具体的現象を統一された分析的構成物に統合することによって成り立つものであり、無数の歴史的体験から類型的要素を抽出することによりそれらを比較可能にするものである (:68)。理念型概念により、具体的行為者から制度的行為の分析に焦点を移行することが可能になるのであり、その点でこの概念には説明的価値がある (:70)。
 しかし、ウェーバーは理念型をいかに一般化すべきかに関する規則を規定してはいない (:70)。理念型を形作る側面の選択についても基準を設けなかったために、ある歴史的状況に対して研究者ごとに異なる理念型ができることとなった (:71)。


4. 社会学的説明:対象をどのように説明するのか


 デュルケム デュルケムは社会的種によって諸事実をグループ分けした。そのうえで、それらに対する科学的説明としてどのようなものを想定したのだろうか。彼の説明は常に二律背反的である。彼は、ある現象が「遂行する機能 (結果)」と、その現象を「生み出す作用原因 (原因)」を区別したうえで、一方では後者の追究を重視しながらも、他方では機能についての知識が現象の説明に不可欠なことを承知していた (:72)。また、「社会的事実の決定的原因は、それに先立つ社会的事実のなかにこそ求めるべきであって、個人の意識の状態にではない」とする一方で、心理学的事実が説明に有益な示唆をもたらすということは認めていた (:72-3)。

 ウェーバー ウェーバーは、説明にあたり「個人的行為者の動機の把握」についての理解を重要視した。そのうえで彼は、二つの説明的理解を区別している。第一は「実際に意図された意味」の把握を含んだ説明であり、第二は「共通の現象に対して科学的に定式化された純粋な類型 (理念型) に適した意味」の把握を含んだ (観察者によって動機が抽象化された) 説明である (:74)。
 ただし、彼はこうした行為の説明がそのまま「因果的に価値のある解釈だ」とは考えなかった。また、一方には行動の進路の解釈 (行為者の視点から見た行動の動機に関する満足のいく説明) があるが、他方には事象の継起についての「因果的に適切な解釈」があると考えていた。ただし、後者は前者との関係において成立するのであり、動機的な関係が理解できない事象同士には因果的な有意性は存在しえないとした (:75)。いいかえれば、「行動の総計的な比率間にある統計的規則性は、それらの間にある種の主観的または心理学的結びつきに言及しない限り、無意味である」と考えたのである (:76)。


5. 社会学における検証:実験法を欠いている場合に、どのように信頼できる経験的知識へ至るか


 デュルケム デュルケムは比較だけが頼みの綱であるとし、その方法を論じるにあたって「ある結果はつねにそれに対応する唯一の原因をもっている」という原則を提示した (:77)。また、一致法・差異法を「社会」に対して適用することも困難であるとし、共変法または相関法を選択した (:78)。つねに対応する原因があるとする原則によって、共変法に証明力が認められたのである。
 しかし、共変法では相関性においてどれが原因でどれが結果かを知りえない。そこで、例えばデュルケムは自殺論において、① 教育水準と自殺の間に相関関係があるが、② 教育が原因で自殺をするとは考えられない以上、③ より大きな共通の原因として「宗教的伝統主義の衰退」があるという形で考えを進めた。ただし、この推論には (4章で触れられるように) 事象が行為者に対してもつ意味の評価が含まれており、その点でデュルケムもまた心理学的レベルをその説明に組み込んでいたといえる (:79-80)。
 さて、デュルケムはこのほかに、想定した因果関係の信頼性を増すために、「同じ種のなかのいくつかの民族」を比較する方法があると論じた。そのうえで彼が警告を鳴らしたのは、異なる段階にあるものを比較してしまう可能性である。これはデュルケムが「社会の発展段階」を統制するべきだと考えていたことを表しているといえるだろう (:80-1)。後年になると、社会的事実の比較においても、社会自体が似通っていることが必要だと論じ、統制をするべきだとした (:82)。

 ウェーバー ウェーバーは、実験による検証は限られた事例でしか実行できないと考えていた。第二の方法としては統計的分析が、第三の方法としては比較分析があるとし、そのうえで第四に「不確実な手続き」として「想像上の実験」を挙げた (:83-4)。それは「動機の連鎖の特定の要素を排除して、その後に続くだろう行為の方向を明らかにして、それによって因果的判断を下す」過程であるという (:84)。要するに、「もしこうだったら、こうなったかもしれない」と考えることであり、それを通じてもたくさんの知識を得ることができると考えていた。
 これは方法論的観点から見れば、比較の事例を増やすことを含んでいる。「歴史的状況を要素に分解して体系的にあれこれと変更することによって、ウェーバーは結果としてミルが差異法で提案した諸条件 ―つまり、ひとつを除いてすべての点で類似している事例を比較すること― を概念的に達成しようと努め、このひとつの相違の諸帰結を明らかにしようとしたのである」(:85)。つまり、これはある種の統制下で比較を行う方法なのである。 


6. 結論


 彼らが注意を払った問題は次のようなものだった。これらの問題は現在でも比較分析に携わる人々の関心を支配し続けている (:86-7)。

 (1) 行為者と観察者の役割をどう定めるか : 能動か、受動か
 (2) 一般化のどのレベルにおいて社会学的説明を行うべきか : 法、蓋然的傾向、歴史的配置…
 (3) 社会学的知識の一般化に際し、どのようなデータを調べるか : 標準的なものか、独自性なのか
 (4) どの概念レベルで知識は一般化されるべきか : 心理学か、社会学
 (5) 主観的事柄の複雑性をどのように扱うか、どういった変数をどのように分離・統制・操作するか
 (6) 比較に際して、様々な変数を分離・統制・操作するための利用可能な戦略は何か
 (7) 経験的研究における抽象的「モデル」の役割とはどのようなものか