世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

インドにおけるカーストを対象とした比較社会学の再検討  (前半)


—比較社会学における問題の検討と、「人々の作り上げ」を考慮することの必要性について—










Ⅰ. 序 ― カースト研究の検討を通じて、比較社会学における課題を明らかにする


 社会学ないし社会科学系の学問において「比較」が論じられなくなって久しい。かつて、社会学の大家であるマックス・ウェーバーは、西洋社会の特徴を描き出そうとして西洋・中国・インド等の比較を行う一大プロジェクトを立ち上げた *1。当然、あまりに大きすぎる試みではあっただろうし、その研究成果をそのまま鵜呑みにすることはできない。しかし、少なくともその方法論の検討は、90年代頃までは盛んに行われていたように見える *2。ところが、現在社会学研究の場で比較という方法が顧みられることはほとんどない (印象論だが)。それらはすでに「過去のもの」となってしまったようだ。

 もちろん、私は学問の「たこつぼ化」などといって現状を無暗に嘆くつもりはないし、そもそも専門性が高まっていくことや記述が詳細になっていくことは好ましいことであると考えている。ただ、研究という視点においてではなく、教育という視点において、どうしても比較というものに向き合う必要があるように思われるのだ。例えば、「世界史」という教科は、実際の歴史研究からは内容も範囲もあまりにかけ離れている。一つの事柄に深く足を踏み入れる余裕はない一方で、あまりにも大量の要素が次々と登場する。そうしたなかである程度の歴史像を描き出さなければならない。極度な単純化は避けなければならないが、複雑なものを (複雑なまま) 整序する視点が必要となるであろう。また、新たな教科である「歴史総合」では、世界の歴史と日本の歴史の両方を統一して扱うことになる。無論、そこで求められているのは世界と日本の動向をつなげて理解させることであろう。しかし、そこでもやはり比較というものが一つの武器になるように思われる *3

 他方で、繰り返しになるが、極度な単純化は避けなければならない。日々アップデートされる歴史像を無視して「わかりやすい歴史」を描き出すのは容易である (そして市販の参考書にはそういったものが多い)。認識が複雑になる前、一時代前の歴史教科書をなぞれば良いのだから。異なる領域や時代を無理やり同じ平面に置く比較という試みにも、そうした極端な「わかりやすさ」に行き着く危険性が常にある。だからこそ、研究の場において既にそれは語られなくなったのであろう。では、極度な単純化を避けるためにはどのような方法があるか。一つの道筋として、比較研究の危険性と限界を具体的な形で把握しておくということが挙げられよう。道具の危険性を理解しておけば、単純な像を適宜修正していくこともできるのだから。

 やや前置きが長くなったが、以上のような観点から、本報告ではルイ・デュモンが行ったインド社会に関する比較社会学の試みを検討していく。そこで行われる比較という方法がどのような点で問題を有するのかを確認し、そこから翻って現代の歴史社会学研究の方向性 (その一つ) を確認していく *4

 

Ⅱ. ルイ・デュモンの比較社会学 ― インドとヨーロッパの違いをどのように捉えるか


 インドと西洋社会の比較を行った学者のなかで著名なのは先に触れたウェーバーであろう。残念ながらウェーバーの論がインド社会観に与えた影響はあまり大きくはなかった (と思うのだ) が、同様の比較を試みインド社会研究に大きな影響を与えた人物にルイ・デュモンがいる。彼は1966年に “Homo Hierarchicus” を執筆し、インドのカーストを西洋社会の概念に頼らずに把握しようと試みた (田中雅一ほか訳,『ホモ・ヒエラルキクス』,みすず書房,2001 *5 )。1977年には “Homo Aequalis” を執筆 (未邦訳 *6 )、インド社会との対比から近代社会における個人主義の特質を論じている。1983年には “Essais sur I’individualisme” (渡辺公三ほか訳,『個人主義論考』,言叢社,1993) にて自身の近代社会論をまとめた。インド社会に留まらない彼の論は (さすがにベタに引用されることは少ないものの) 近代社会について論じる際に現在でも参照されることがある *7

 以上の業績からもわかるように、インドのカースト *8 を把握するためには、西洋社会に流布する概念の特殊性を理解する必要があるとデュモンは考えていた。また彼は、そのような形でインド社会を理解することで、翻って西洋社会における個人の在り方が普遍的ではないことを指摘できると考えたのである。デュモンは『インド文明と我々』において、自身の研究プログラムを次のように表明している。「インド文明を理解するためには、まず第一に、われわれの思考方法をつくりだしているわれわれの文明と、われわれが把握しようとしているインド文明とのあいだに知的な関係を正しく確立しておくことが望まれる」(Dumont,1975=1997:9-10)。こうした関係を確立するためにも、彼は壮大な規模の比較へと乗り出すのだ。

 以下では、(1) デュモンはカーストについての先行研究にどのような問題を見出したのか、(2) それをふまえてどのようなカースト観を提示したのか、(3) そのうえで、西洋社会との比較をどのように打ち出したのかをやや具体的に確認していくことにしよう。


(1) デュモンにおけるカースト研究の整理

 デュモンはカーストの把握が主に3つの主要な説明様式に捕らわれてきたと指摘する (Dumont,1980=2001:36-7)。第一に、カーストは人々の意思に応じて生まれたとする主意主義的説明であり、例えば司祭 (バラモン) が自分たちの利益のために分業体制を作り上げたという説明や、人々の必要性に応じる形で自然に分業が発達したという説明がこれにあたる (前掲:38-9)。

 第二に、既知の特徴に結びつけてカーストを説明するものがある。例えば、17世紀の終わりごろからヨーロッパの人びとはカーストが宗教的制度なのか社会的制度なのかを問い続けてきたのだが *9、そのなかでカーストはヨーロッパの貴族制度と同様のものであるという説明が生まれた。19世紀末のサンスクリット学者マックス・ミュラー *10 も、カーストは「本質的に、あらゆる社会で見られるような、生まれや社会的地位、そして教育に関する区別の一つの特殊な形である」としている (前掲:40)。デュモンによればウェーバーもこれらとほぼ同じ前提に立っており、また (デュルケムを想起させるような) 分業論も基本的にはこの説明に与するものであるという。

 第三に、環境等にその歴史的起源を求める説明が挙げられる。これには特にインド=ヨーロッパ語族観が大きな影響を与えた。デュモンはかなりあっさりと説明をしているので、藤井による説明を参照して補足しておこう (藤井,2003:27-9,55)。1786年、ウィリアム・ジョーンズによってサンスクリット語が古典ギリシア語やラテン語などと共通起源をもつ可能性が指摘される。この指摘が、後にインド・ヨーロッパの共通起源 (アーリア人) を想定する歴史観へとつながっていき、19世紀を通じていわゆる「アーリア神話」が形成されていった。さて、ヨーロッパはこのような形でインドとの間に共通起源を設定したわけだが、しかし眼前のインド人と自分たちとの連続性を認めることは容易ではない。そこで援用されたのが「純粋なアーリア人の血」という想定である。「不道徳な雑婚をくりかえしたインド人は純血性を保つことができず、ギリシア・ローマと比較しても『欺瞞的な幻想』に満たされた」。そのような説明が1840年代~50年代に、マックス・ミュラーらドイツ系インド学者によって広められたのだ *11。こうした神話のなかで、カーストアーリア人による在来住民の征服によって形成されたという論が強く支持されるようになっていく。さて、デュモンに話を戻そう。デュモンはこれに類似する説明様式のもとで、複数の集団が接触することで各集団が閉じられたという想定のもと、カーストがほかの人種制度 (アメリカや南アフリカの人種差別) と結びつけられて論じられていることを指摘する (Dumont,1980=2001:44)。ここではカースト主意主義的な視点のもとで、既知の特徴と結びつけられてしまっているわけだ。

 以上3点を指摘したうえで、デュモンは1900年以降は比較の観点に則る経験的研究が増えてきたことを認めつつ、それらの研究に対しても、カーストの一部分・一側面のみに注目しており全体を見通す体系的な研究が存在しないこと、非西洋的イデオロギーであるヒエラルキー (これについては後に触れる) *12 の存在を軽視する研究がほとんどであることなどを指摘している。


(2) デュモンのカースト

a. 浄/不浄の区別

 このような指摘を行ったうえで、デュモンはどのようにカーストを描き出すのだろうか。最初に彼が打ち出すのは、当該社会における諸関係の一般法則を明らかにしようとする構造主義的立場である。ある意思をもって制度を成立させたといった説明様式や、既存の制度と結びつけてカーストを論じることは、いずれもカーストの姿を正しく描き出さない。まず、諸カーストの関係性がどのような法則のもとで生み出されているのか、これを明らかにする。そうしてみて初めて、その関係性が例えば西洋における身分制度とどのように異なるのかといったことが思考可能になるのである。

 では、各カーストは実のところどのような規則に従って分離しているのだろうか。まず、彼はカーストの根底に浄/不浄の観念が存在していることに触れる (前掲:68-71) *13。なぜ浄/不浄の観念がカーストという分業体制へとつながるのか。デュモンは、出産や死といった日常における不浄は沐浴や一定の期間を置くことによって浄化される一方で、恒常的に不浄な事柄に関わる職業があることに注目した。例えば、床屋は葬式を担い、洗濯屋は誕生と月経の際の汚れた血を洗う。彼らは常に不浄な事柄と関わるため、カーストにおいても下位に置かれることとなる。そのような形で、専門的な職業の分化は、カーストの分化と結びついているのである。

 では、このような指摘によりデュモンは何を述べたいのだろうか。彼が強調したいのは、カーストが (イデオロギー上=観念上は) 純粋に宗教的な価値に関わるものであるということである。そして、そのことを指し示すために、彼はヒエラルキーという概念を西洋社会との対比で打ち出していく (前掲:92-3)。『インド文明と我々』で彼が述べていることを見ておこう。

 われわれは、宗教から独立したものとして社会を考える習慣を身につけている。われわれにとって宗教とは、もはや社会生活のすべての側面を包摂し保障するものではない。われわれにとって人間の本質的現実は個人としての人間に存する。そしてすべての個人が原則的に平等だから、われわれの社会は平等主義なのである。反対に、インド社会は、宗教、言い換えれば社会がそのようなものとして表象する宇宙的秩序によって、秩序立てられ階層化されている。(…) そのような社会で諸職務の差別化と階層的分類を支配している原理 —つまり、浄と不浄の対立— に慣れることは現在のわれわれにはずっと難しい (Dumont,1975=1997:18-9)。

 デュモンによれば、宗教的価値が社会秩序を基礎づけるというその在り方自体が、西洋的個人にとって何よりも理解の難しい事柄なのである。その理解しにくさから、西洋的個人は自身の社会からラベルを借りてカーストを説明したり、理念・価値・信仰といったものを二次的なものと見なして経済・政治といった側面からのみ現象を説明してしまう (Dumont,1980=2001:11)。しかし、カーストを例えば経済上の地位関係としてのみ記述することは不可能なのであり、まず浄/不浄の区別を受け入れて考える必要がある。これがデュモンの基本的な主張であり、この点で彼は (バラモンが自身の政治経済上の利益のためにカーストを作り上げたといった) 主意主義的な説明とは大きく異なる像を描き出すのである。

b. 地位/権力の区別

 さて、続いてデュモンが導入するのは、地位/権力の区別であるヒエラルキーは純粋に宗教的なものであるが、そこで利用される浄/不浄観念だけでは中間における関係 (例えば、4ヴァルナでいえばなぜバラモン・クシャトリア・ヴァイシャといった順番なのか) を説明できない。それゆえに、地位=ヒエラルキーとは別のところからも、各カーストの関係性を説明する必要がある。そこでデュモンが注目するのが、4ヴァルナ (バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラ) に関する古典理論である。これら4つのヴァルナは浄/不浄という二項の線的区分とは異なり、いくつかの区分を有する。例えばシュードラとほかの3身分は一生族/再生族という線によって分けられているのだが、とくにデュモンが注目するのがバラモンとクシャトリアの区別である (前掲,99)。この区別は、司祭職と王権の絶対的な区別を示唆しているとデュモンは考えた。どういうことだろうか。インドでは、王は宗教上の特典を有しなくなった。王は祭祀を行うのではなく、司祭に行ってもらうのである。ここでは、理論上、王は司祭に従属する。しかし、現実には司祭職が王に従属している。すなわち、この二者の関係においては、(宗教上の) 地位と (政治経済上の) 権力という二つの評価基準が分離しているのである *14霊性上の権威 (ヒエラルキー上の権威) は司祭が有するが、現実における一時的な権威 (権力上の権威) は王が有する。こうした地位/権力の区別は従来の研究者に意識されてこなかったのであり、この点でもヒエラルキーというものが見過ごされていたのだとデュモンは指摘する (前掲:103)。

 そしてデュモンは、カーストを考えるうえでもこのように地位/権力の区別を念頭に置く必要があるとする (前掲:99-101)。まず、現在のカースト体系においても、浄/不浄の理論から外れる地位関係が存在することを想起しよう。例えば、王や王家のカーストは肉を食べるが、菜食主義の商人や農民らよりも優位に立つことがある (前掲:105)。これは浄/不浄の観念から見れば端的に矛盾であるのだが、この矛盾について考える際に参考にすべきなのが、まさしくヴァルナの古典理論なのである。そこでは、地位/権力の両者が (バラモン/クシャトリアという2身分において) 暗黙裡に結合している。「ヴァルナ理論は最初から、バラモンとクシャトリアというふたつのヴァルナを、特殊な仕方で結びついて世界を統治しなければならない『ふたつの勢力』としてとらえて」いた (前掲:107)。

 そして、こうしたヴァルナ観はカーストにも影響を与えることになる。現在でもカーストに組み込まれた当事者はしばしばヴァルナを引用するのだが、これはカーストとヴァルナに相同性があり (すなわちカーストにおいて地位が高い者はヴァルナにおいても地位が高いのであり)、かつインドの広範囲にわたって参照することが可能な枠組みであるためだという。このようにして、ヴァルナはカーストへと影響を与えるのであり、そこから各カースト間の序列に存在するようにみえる先述の矛盾についても理解することができるのである。

 しかし、このように考えてみても、不浄なるもの (肉を食べるクシャトリアなど) が浄/不浄の区別のなかで上位に来てしまう矛盾が十分に説明されたわけではない。不浄なものが浄のヒエラルキーの上位に位置づくという矛盾をどのように理解すれば良いだろうか。ここで注意しなければならないのが、観念/現実の区別であろう。ヴァルナは浄/不浄という区別によって形成される、観念的な (イデオロギー上の) 地位関係である。そこでは (観念上は) 完全に宗教的に地位が定められている。しかし、現実においては領土・権力・土地支配に関わる支配カーストが存在するし、そのことによって生活が成立している。これら支配カーストの存在は、(やはり観念の上では) 潜在的にとどまっているのだが、現実上は (先に述べたバラモン・クシャトリアの結びつきのように) 必須のものとして上位の位置を与えられているのである(Dumont:1980=2001,199-201)。

〈まとめ : デュモンによるカースト体系の説明〉
〇 浄/不浄の観念がバラモン / 不可触民などをわける。この観念は生活の根本に根付いている
カーストの中間においては、政治経済上の権力関係がその序列に影響を与えている
カーストは浄/不浄の観念を基本軸としているため、政治経済上の地位については上手く説明されることはない。それは潜在的カースト序列上に表れるだけである



(3) 西洋との比較


 以上のことを確認したうえで、デュモンはカーストという諸関係を形成・分離する法則や、地方における差異、あるいは実際上地方にどのような権力が存在するのかについて考察していくのだが、そこは本稿の意図から離れるため割愛する。本稿にとっては、以上のようなカースト観を打ち出したうえで、デュモンが西洋とインドをどのような比較のもとで描き出したのかが重要である。

 デュモンは、インド社会をホーリズム (全体論) 社会、西洋社会を個人主義社会とした。その内部にはそれぞれホモ・マジョール (集合的存在としての人) と、ホモ・ミノール (個人) がいる (前掲:297)。これら二つの差異については以下のようなものとして理解しておきたい。

 個々の人間を理解する方法が本質的に違うことにも気をつけなければならない。われわれが公共建造物の正面に「自由・平等・博愛」と書くのは、真の人間的現実とは個人である、つまりそれ自身でそれ自身のために存在する原則的に自足した独立の存在である、ということが了解ずみであるからにすぎない。同じように、しかしまったく正反対に、インドでそれぞれのカーストが分離し階層化しているのは、諸カーストの、したがって個別の人間の相互依存のうえに、しかも真の人間的現実を作り上げている一定の秩序のなかに社会が築かれていることを、口にするまでもなく誰もが知っているからである (Dumont,1975=1997:19-20)。

 次にデュモンが比較のために利用する分割線が、観念 (イデオロギー) / そこからの残余としての経験的要素である。これは先に地位/権力という区別にかぶせる形で、観念/現実の区別として導入しておいた。カーストにおいては宗教的ヒエラルキーが支配的なイデオロギーとして機能しており、権力における上下は (経験的には存在しているにもかかわらず) 潜在的にとどまり前面に出なかったのである。

 このような分割線に従い、まずデュモンはインドにおけるイデオロギーとしてヒエラルキーを、経験的要素として (実際の支配が行われる場としての) 政治経済を置く。では、西洋社会においてこれらに対応するものはなんだろうか。まず、イデオロギーとして力を持つのは「平等」である。この平等は主に政治上・経済上の権利を意味するため、デュモンの比較表においてはイデオロギーの側に政治・経済が置かれている。それでは、ここからの残余物、すなわち実際に存在しているにもかかわらず、西洋社会において上手く表象されない経験的側面とはなんだろうか。デュモンはそこに、「国民・個人的宗教・社会」といったものを置く (Dumont,1980=2001:298)。これはどういうことであろうか。デュモンの論を少し敷衍しながら、以下で考えてみよう。


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デュモンにおける比較 (報告者が再構成したもの)


 デュモンによれば、先ほどから繰り返し登場する西洋的個人なるものは、一つの独特の価値、すなわち平等という価値の構成物にほかならない (前掲:19)。なぜなら西洋においても人びとは社会において生きていることに変わりはないのであり、例えば教育を通じて社会化し、社会から与えられたカテゴリーにより思考をするのである。また、デュルケームによる分業理論では近代的分業によって人々の相互依存がかつてないほど深まることで、逆説的に個人主義的な自律性が生まれるというものであった (有機的連帯)。要するに、近代西洋社会とは「全体として動きながら個人を起点に思考する」特殊な社会なのである (前掲:21)。

 このことをふまえて、先の「国民・個人的宗教・社会」に戻ろう。このような社会においては、例えば「国民」という集団や、自身が組み込まれ依存する「社会」というもの、そして「宗教」という信仰は残余物として扱われ、前景化することは稀である。これらが意識されるときでもなお、それは「個人から成る国民」や「個人的な宗教」として表象されているのである。そして、このような形で平等という価値を第一に掲げる西洋近代社会は、自身とは異なる原理で動くインド社会を「不平等」な社会としてしか認知することができない。ここに至ってようやく、デュモンが現存のカースト像は西洋中心的な見方によるものだと述べていたことの意味が明瞭になってくる。自身らの社会で流通する「平等」という価値をインド社会に当てはめることで、インド社会の仕組みを理解することなく (自身の掲げる価値との距離から) 不平等だと批判してしまう。そうした態度を、デュモンは強く戒めんとしたのである

 以上でデュモンのカースト観を確認した。後半では、彼の比較がもつ問題点を比較し、彼が見落としたカーストの一側面を記述していくことにする。





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〈参考文献〉

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*1:『宗教社会学論集』に収録された「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年),「儒教道教」「ヒンドゥー教と仏教」(共に1916年) など。

*2:ウェーバーが用いた比較の方法を整理したものとして、例えば (Smelser,1988=1996) がある。

*3:これについては「日本の近代と法システム」https://history-and-sociology.hatenablog.com/entry/2020/05/14/213022 を参照。

*4: このような観点を設定する以上、本報告は何か新たな事実を描き出すものではないし、インド社会研究を丹念にたどってレビューするようなものでもない。あくまで「比較」という方法の検討を念頭においている。なお、報告者の不勉強から、本報告ではいわゆるサバルタンスタディーズには (本報告の内容と関わるものだと認識はしながらも) 触れることができていない。ルイ・デュモン以降の日本におけるインド社会研究をレビューしたものとして (田辺,2008) があるので、インド社会研究の多様性についてはそちらを参照してほしい。  一応本報告の立ち位置を簡単に述べておこう。本報告は「反乱者たるサバルタン」(スピヴァク) に注目するものではないが (また、ポスト・コロニアルな問題意識を十全に共有するものでもないが)、インドの人びとをある種の行為主体として捉え、そうした人々の働きがカーストという概念とどのように相互作用するかを論じるものである。その点では文化・社会・政治・経済を「実際の歴史過程のなかで生成変化する動態として理解する必要がある」という田辺の論 (田辺,2008:217) に沿うものではあるだろう。

*5:なお、これは英語完全版をもとにした邦訳である (ただし、内容に応じてフランス語版を参照した箇所もあるという)。英語完全版の出版は1980年。

*6:詳細な書評として (山下,1981) があり、だいたいの内容を確認できる。

*7:例えば (三上,2010) など。

*8:ここでのカーストは、いわゆるジャーティを指す。バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラといった4身分 (ヴァルナ) とは区別してデュモンも用いているため、本報告本章もそれに従う。なお、カーストの構築性について論じる次章においてはその限りではない。デュモンにおけるカーストとヴァルナの関係性の理解については (Dumont,1980=2001:100-3)。

*9:カーストが宗教的制度であるか単にそうした要素を含まない社会的制度であるかは、カーストに対して西洋がどこまで介入して良いかという問題と関わっていた。そのため、長期にわたって繰り返しこのことが論じられたようだ。これらの論争については、(藤井,2003:第4章) が詳しい。

*10:ヒンドゥー教聖典リグ・ヴェーダ』を翻訳すると同時に、後に触れる「アーリア神話」形成に大きくかかわった学者 (1832→1900)。一応注意なのだが、ドイツ哲学者のマックス・ミューラー (1906→1994) とは別人。

*11:いうまでもないことだが、これが後にイギリスでは植民地支配の正当性を説明するものとして、ドイツでは (ヒトラー等がアーリア人種のなかでも最も雑種化していないと想定した) ゲルマン民族を礼賛するための理論として援用されていくこととなる。

*12:ヒエラルキーではなく、ヒエラルヒー (独) やハイアラーキー (英) と表記するのが適切だと思うのだが、本報告では邦訳の表記に従う。なお、フランス語発音でも「ヒエラルキー」とはならない。

*13:『マヌ法典』などにおける浄/不浄の観念については、(山崎,1997:206-19) を読むとわかりやすい。

*14:不可触民とバラモンといった両極端部ではヒエラルキー上の浄/不浄区別が強力に働くが、バラモンとクシャトリアといった中間部分では権力上の差異といったものを考慮して序列を考える必要がある。どちらがより根本的であるかと問われれば浄/不浄であるので (浄/不浄区別が他の区別を包摂しているため)、デュモンはインド社会について語る際にこちらを強調している (Dumont,1980=2001:104-5)。