世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

中国史における都の変遷と、グローバル・ヒストリーのなかの中国 ①

 また、読書会のために10日程度で書いたものです。
 受験とかで中国王朝の都を問う問題がよく出てきますが、「実際のところそれを知っていると何がわかるのか」、もう少し明瞭に言うと、「中国王朝の都は、歴史のどういった側面を反映しているのか」。これを書いていきます。






1. 本稿の目的と構成


 中国史……私は、この言葉を聞くとウンザリした気持ちになる。大量に出てくる人物名、覚えにくい漢字、いくつも登場する政治・行政上の制度、思い出したかのように現れる多様な民族、いまいち理解しにくい漢族・非漢族の盛衰、無駄に変遷する都市……それら多くの要素が相互に関連付けられず、全体像がイマイチ理解できないまま、いまだに苦手意識を持ち続けている。私にとって中国史とは、いわば「大量の要素を前に消化不良を起こしてしまった」分野なのである


 さて、本稿は、「中国史における首都の変遷を、わかりやすい形でまとめたい!」という、至って実用的 (?) な目標を掲げるものである。受験問題において、中国の首都は何かとひっかけに使われる。しかし、その内容は地味に覚えにくい。本稿では、そうした苦しみを軽減する一助として、中国の都の変遷を通覧し、その変遷過程を考察する *1

 しかし、「覚えにくさを軽減する」といっても、まさか「語呂合わせ」や「歌」なんかで「覚えやすくする」わけにもいくまい (いや、別にやってもいいのだが、わざわざそれを大仰な報告にまとめる必要はないだろう。)。そこで、本稿では、「なぜ中国史上の首都は、特定の位置 (例えば長安と洛陽) を行き来するように移動するのか。どのような理由があって、それらの都市が選ばれているのか」を説明したいと思う。その理由を知ることで、「単なる暗記」を「理由にもとづいた知識」に変えること。それを目指すのである。逆にいえば、ここから「中国の首都変遷を見ていくと、何を理解することができるのか」も明らかになるだろう

 しかしながら、この目的を前にして、本稿は一つの問いへと迷い込む。それは、「そもそも中国史をどのようなものとして捉えれば良いのか」というものである。首都変遷にせよ何にせよ、歴史上の事象を解釈するためには、その事象をどのような枠組み (フレーム) に位置づけるかが大きな問題となる。事象の解釈は、位置づける枠組みに応じて変化するからだ。例えば、パレスチナ問題は、それを「宗教問題」として位置づけるか、「外交問題」・「資源の問題」として位置づけるか、それとも他の何かとして見るかで、大きく見え方を変えてしまう。中国史にしても同様で、特定の事柄を「ある皇帝の決断によって行われたこと」として見るか、「経済上の事情によるもの」として見るか、あるいは「遊牧民史の側から把握するか」、さらに広く「気候上の理由によるもの」だと考えるか等に応じて、その見え方は大きく変わってしまうだろう。無論、「語り口に応じて物事はどのようにでも見えてしまう」などという (構築主義を曲解して歴史修正主義にまでたどり着いたような) 主張をするつもりはない。しかし、「妥当な語り口」や「妥当な説明の筋道」にも複数のものがあり、また特定の時期や集団によって選好されやすい説明が存在していることは、事実であるはずだ。例えば、ある事象が、「特定の人物の意志によって引き起こされる」という説明も、「経済上の理由に応じて引き起こされた」という説明も同程度に妥当である場合はあろう。またある時期 (ないし集団) においては前者のような説明が選好されやすく、違う時期 (ないし集団) においては後者のような説明が選好されやすいということも、十分にありえる。

 そして、次節にて確認するつもりだが、中国史研究においてもこのような「歴史の見方」、「歴史を見る枠組み」そのものの検討は盛んに為されてきた。したがって、ただ都市変遷をまとめるという目的を前にしただけでも、「一体本稿はどのような視点に則って、どのような枠組みに基づきながら、中国史を論じるのか」という問いからは逃れられない。執筆者たる私はもちろん中国史の素人なのだが、素人が何かを書くにしても、そうした自己言及からは逃れられないのだ *2

 以上をふまえて、本稿では次のような構成に則り論を進めていくことにする。まず次節では、中国史を通覧する際にどのような見方が採用されるべきかを検討することにしよう。とくに、中国都市研究を専門とする妹尾達彦の論を追いながら、中国史を見るための枠組みを再検討できればと思う。それをふまえて、続く第三節では、そうした枠組みから見た中国史を粗描する。そのような中国史の捉えなおしを経たうえで、第四節にて中国の首都変遷を論じたい。このような遠回りを行い、国史をより広い枠組みのなかに位置づけることで、中国史に登場する各種要素を整理していくこと。それが本稿の目指すところである



〈目次〉
1. 本稿の目的と構成 (本記事)



2. 中国史の枠組みを問う ― 妹尾達彦の歴史観変遷とグローバル・ヒストリー —

 2.1 内在的変化論と外在的変化論
 2.2 内中国と外中国
 2.3 農耕・遊牧境界地帯
 2.4 境界都市とその移動
 2.5 グローバル・ヒストリー



3. グローバル・ヒストリーのなかの中国史


 3.1 グローバル・ヒストリーのなかのユーラシア大陸 —妹尾による世界史の三段階—
  3.1.1 初期国家から古典国家へ
  3.1.2 農牧複合国家の誕生・ユーラシア史の形成
  3.1.3 農牧複合国家の解体・再編、沿海地帯の発展
 3.2 中国大陸における古典国家の形成 — 秦・漢と匈奴
 3.3 古典国家の分裂から農牧複合国家の形成へ ― 漢から唐へ ―
 3.4 大中国と小中国のサイクル
 3.5 内陸から沿海へ — 都城の変容から、沿海都市網の発達まで —


4. 中国史における都の変遷


5. まとめと後記



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*1:なお、読書会のテーマが隋・唐だったので、本稿では主に唐代までの中国史を扱うこととする。

*2:もちろん、自身の立ち位置を明示せず、自身をあたかも客観的な第三者であるかのように透明化しながら歴史を描くこともできよう。しかし、歴史とは語り手の用意する枠組みのなかで描かれるものだということをふまえるならば、それはあまりにも不遜で不適当な歴史の描き方だといえるだろう。