世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

中国史における都の変遷と、グローバル・ヒストリーのなかの中国 ④

4. 中国史における都の変遷


 長くなったが、以上で中央ユーラシア・東部ユーラシアの相互関係史を通覧した。隋・唐代までを中心としたため、後ろの時代についての記述は薄いが、大まかな流れを確認するうえでは十分かと思う。では、以上の内容をふまえて、ようやく本稿の趣旨である「中国の都市変遷」についてまとめておこう (下表は、〔妹尾,1998:30〕より引用)。ただし、おおよその内容は出尽くしているので、簡単に済ませることにする。



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国史における都の変遷 (〔妹尾,1998:30〕より引用)



 まず、中国史前期において、中国の都は「長安―洛陽」の間を行き来するように変遷していた漢人政権が華南へと追いやられた南朝時代には南京 (健康) が都とされているが、秦から唐に至るまで、その二つの都が重要地であったことは間違いない。両者の違いをまとめておくと、長安は農牧境界地帯付近に位置し、遊牧民族に対する軍事・政治の拠点としての機能を有していた。とくに、農牧複合国家のように、農牧の両地域を統治する必要性がある時代には、長安が都として重宝されただろう (ただし、中国史前期に限られるが)。これに対して、洛陽は農業地帯の中心付近に位置する。ここは主に経済・文化の中心地として栄えており、なんらかの事情で長安の防衛が破られた際などに、都がここに移されることになる (犬戎による周への侵攻)。また、外中国西北部よりも内中国華北平野に統治の重点を置いた王朝も、ここを都とする傾向がある (後漢北魏など)。

 さて、隋の大運河掘削以降、都としての重点は徐々に沿海へと向かうようになる。とくに、宋が開封に都を置いたことは、その過渡期の形態として興味深い開封はY字型につながった運河の結節点に位置していたが、ここが都とされた背景には (1) 内運が重要視されたほかに、(2) 外中国の西北部と東北部にそれぞれタングート・契丹の政権が対峙していたこと、(3) 中国内陸部における穀倉地帯が、華北平野から長江下流域へと移動する時期に相当したことがあるという (妹尾,1998:13など)。

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国史における都の変遷図 (〔妹尾,2018:53〕より引用)


 その後、国史における首都変遷は、前期の東西移動 (長安・洛陽間の移動) から、後期の南北移動 (北京・南京間の移動) へと形を変えるようになる (上の概念図は、〔妹尾,2018:53〕より引用)。これらの変容には、(1) 先に触れたようにユーラシア大陸全体で沿海地帯の重要性が高まっていたほか、(2) 外中国の非漢人の主要軍事拠点が西北から東北へ移動したという軍事的要因と、(3) 主要穀倉地帯が華北から華南に移動したという経済的要因が絡んでいるという (妹尾,1998:12)。

 こうしたなかで、主に軍事・政治上の機能を担ったのが北京であった。北京は農牧境界地帯と沿海地帯の両方に位置するため、防衛上の要としやすい地域だったのである。それに対して、経済・文化の中心となったのが南京であり、主要穀倉地帯である南京と防衛の要である北京の間は、海運によって結ばれることとなった。こうした南北移動が形成されてくるなかで、沿海諸都市が発達し、そこから近代の中国が姿を現してくることとなる。




5. まとめと後記

 さて、「中国の首都変遷をまとめたい」という実用的な目的から出発した本稿だが、思ったよりも広い分野に手を広げる羽目になってしまった。しかし、都市というものが軍事・政治・経済・文化など多くのネットワーク上に形成されるものである以上、このように大掛かりな記述になってしまうのは避けられないことだったのかもしれない。逆に考えれば、都市の立地から、各時代の政治・軍事・経済・文化の事情を推測することも可能なのであり、都市立地はそれ自体が魅力的なテーマであるといえるだろう。

 また、本稿では妹尾のグローバル・ヒストリー観に基づいて、都市の変遷を単に中国内陸部や中国王朝の事情によるものとして見るのではなく、ユーラシア大陸の歴史の一部として見ることを心掛けた。本文中でも述べたように、残念ながら本稿ではユーラシア大陸中央部・東部の歴史しか扱うことができておらず、その点ではグローバル・ヒストリーという枠組みを十分に活かせていないが、都市ネットワークから歴史を考えていくための視座を確認し、そのなかに中国諸都市を位置づけることは達成できているのではないだろうか。今後、この枠組みを他地域に援用しながら歴史理解を深めていくこともできよう。その点では、世界史を深く理解するための足掛かりとなりうる内容だったのではないかと思う。

 最後に、本稿の内容を踏まえて考えてみたいことがあるとすれば、それはやはり妹尾のグローバル・ヒストリー観を他地域に適用してみたときに、どのような歴史を描くことが可能なのかということである。このような視点を用いて歴史を見ることは、今後歴史総合や世界史探求といった教科に取り組んでいくうえで非常に重要だと思われるのだが、世界史の細かい内容をすっかり忘れてしまっている私には、例えばこの枠組みを西洋史に適用してみる価値があるのか等の判断がさっぱりつかない。夏にかけて、引き続き検討していきたい。



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参考文献

妹尾達彦 1998 「唐代長安城与関中平野的生態環境変遷」(in 史念海編『漢唐長安与黄土高原』,陝西
師範大学中国歴史地理研究所).
———— 1999 「構造と展開 中華の分裂と再生」(in 樺山紘一ほか編『岩波講座 世界歴史9 中華の
分裂と再生』,岩波書店).
———— 2018 『グローバル・ヒストリー』 中央大学出版部.

木下康彦・木村靖二・吉田寅編 2008 『詳説 世界史研究』 山川出版社.

礪波護・武田幸男 2008 『世界の歴史6 隋唐帝国と古代朝鮮』 中央公論社.

成田龍一・長谷川貴彦編 2020 『〈世界史〉をいかに語るか グローバル時代の歴史像』 岩波書店.

古松崇志 2020 『シリーズ中国の歴史3 草原の制覇 大モンゴルまで』 岩波新書.

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