世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

日本の近代と法意識 ― 青木人志『「大岡裁き」の法意識』(2005) から ④

4. 「民法典論争」における法意識 ―「私権」は極端個人本意であり、忠孝を滅ぼすものである

 紹介した青木の著書は新書でありかつ内容も平易なので、数時間あれば読むことができます。そこで、ここでは著書の内容を大きく取り上げるのは避けることとし、代わりに (青木も当該書にて取り上げる)「民法典論争」に触れておこうと思います。この事件からは、日本において「法=権利」という視点が骨抜きにされていく様子を見てとることができるからです






 かつて明治政府は法律をつくるにあたり、ヨーロッパ諸国で参考にされていたフランス民法典 (いわゆるナポレオン法典) を参考にしようとしました。その勉強のためにヨーロッパから招致されたのが、ブシュケやボアソナードといった学者たちです。ボアソナードは48歳という年齢で来日し、以降22年間日本に滞在。パリ大学でのキャリアや家族も犠牲にして、途中帰国したのもわずかに一回のみであったといいます (青木,2005:62)。1890年、ボアソナードらフランス系法派が長い時間をかけて作り上げた民法典 (いわゆるボアソナード民法典) がようやく公布までありつきました。しかし、その施行をめぐって大きな論争が勃発します。これが、一般に民法典論争と呼ばれるものです。

 ボアソナードへの批判として特に有名なのが、穂積八束による「民法出デテ忠孝滅ブ」という論文です *1。ごくごく簡単に内容をまとめると、次のようになります (穂積,1891)。ボアソナード民法がいうところの家とは、「一男一女の自由契約」のことを指す。この点で「冷淡」なものである。そもそも家とは契約によってできるものではない。家を永続させるためにこそ結婚があるのだ。日本は「祖先教の国」「家制の郷」であり、それを維持し続けている点で西洋とは異なる。ここに近代以降の西洋における「極端個人本意」の民法を輸入するのは誤りである。このままボアソナード民法が施行されれば、「忠孝滅ぶ」であろう。こうした反対運動により、結局ボアソナード民法の施行は延期されることとなりました

 ここに見て取れるのは、民法上の「権利」、すなわち私権という概念の不在ですナポレオン法典を参考にしたボアソナード民法典は明確に私権を認め、そこを出発点として組み立てられたものでした *2。それゆえに結婚もまた当事者同士の「契約」に基づくものとされたのですが、これに対し穂積の批判においては、「家」というものが当事者よりも先におかれています。民法の是非は家を保つという観点から論じられており、「私権」という概念はどこにも位置付けられておりません。先のルーマンの議論にひきつけるならば、ここでは「法=権利」という視点が抜け落ちており、「それは個人の権利なのか否か」と問う可能性が根本から消去されてしまっているといえるでしょう

 なお、「西洋は極端な個人主義により行き詰まった」とし (穂積の場合は極端な個人本意が祖先教や忠孝を衰えさせたとし)、それと対置させる形で日本の優位性を描き出そうとする論法は、保守的な思想において繰り返し観察可能なものです *3。例えば1937年発効の「国体の本義」では、「我が国に輸入せられた西洋思想は、主として18世紀以来の啓蒙思想であり、(…)[これらは]一面において個人に至高の価値を認め、個人の自由と平等とを主張すると共に、他面において国家や民族を超越した抽象的な世界性を尊重するものである。従って、そこには歴史的全体より孤立して、抽象化せられた個々独立の人間とその集合とが重視せられる」とあります。そこでは、「社会主義無政府主義共産主義など」の過激思想もその根本に個人主義があるとされ、欧米の行き詰まりは個人主義こそが原因であるとされました。そのなかで日本は、「真に我が国体の本義を体得すること」でその行き詰まりを打開すべきだとされたのです。さらに加えて、「独り我が国のためのみならず、今や個人主義の行詰まりに於てその打開に苦しむ世界人類のため」に、国体の本義の確立こそが日本にとっての「世界史的使命」であると高らかに謳われました (文部省,1937)*4

 これらの議論における西洋像は、基本的に自然権思想にもとづく社会契約思想を想定し、それを仮想敵としています。ここで、敵視の対象となっている社会契約思想について簡単に確認しておきましょう。ごく教科書的に歴史をまとめると、それは神を援用した政治権力の説明 *5 を排して、人間の「自然状態」を仮定することから統治権について論じるものでありました。これは、一個人が存在するということを前提としたうえで、その個人がなぜ社会を求めたのかを考察するものであり、その点で「私権」を前提に置く議論であったといえます。ロックの『統治二論』がわかりやすいのですが *6、そこでは自然権を持つ人間が、社会契約によって社会を作るという形で、伝統的な自然法論と社会契約の論理が結びつけられていました *7。自然状態の人びとは「(生命・自由・財産などへの) 私的所有の権利」をもち、それに反したものへの処罰権を持つ。ただし、自然状態ではそうした違反者を確実に処罰することができないので、人々は同意によって政治社会を形成し、自身が持つ処罰権をそれに委託する。したがって、もし為政者が権力を濫用して国民の所有権などを侵害するなら、国民は為政者から権力を奪い返しても良いのだ、と *8

 こうした社会契約説がアメリカ独立やフランス革命を (後付けではあったとしても) 正当化したことをふまえるならば、確かに私権を前提においた議論に潜むラディカルさは日本の統治者にとって抑えるべきものであったのでしょう *9*10。しかし、その抑え込みのなかで「法=権利」という視点が十分に法体系に位置づけられなかったのも、また事実なのです *11*12



参考・紹介文献 資料

青木人志 2005 『「大岡裁き」の法意識 西洋法と日本人』 光文社新書.
太田義器 2014 「近代自然法論 ―普遍的な規範学の追究」 『岩波講座 政治哲学1主権と自由』 岩波書店.
川島武宣 1967 『日本人の法意識』 岩波書店.
・小林弘 2007 「ホッブズの哲学における権利と法」 『英米文化』37 : 43-59.
・小山哲ほか 2011 『大学で学ぶ西洋史[近現代]』 ミネルヴァ書房.
・阪上孝 1988 「世論の観念について」 『經濟論叢』141(6) : 307-24.
・笹倉秀夫 2002 『法哲学講座』 東京大学出版.
佐藤俊樹 1993 『近代・組織・資本主義:日本と西洋における近代の地平』 ミネルヴァ書房.
佐藤俊樹 2011 『社会学の方法 ―その歴史と構造』 ミネルヴァ書房.
高木八尺編 1957 『人権宣言集』 岩波文庫.
・瀧井一博 2011 『伊藤博文演説集』 講談社学術文庫.
・フット 2006 『裁判と社会 —司法の「常識」再考』 NTT出版. 
・辻康夫 2014 「ロック ―宗教的自由と政治的自由」 『岩波講座 政治哲学1主権と自由』 岩波書店.
・馬場健一 2004 「訴訟回避傾向再考 ―『文化的説明』へのレクイエム」 『法社会学の可能性』 法律文化社.
・中村義孝訳 2017 「ナポレオン民法典」 『立命館法學』.
・福井康太 2002 『法理論のルーマン』 勁草書房.
穂積八束 1891 「民法出デテ忠孝滅ブ」 『法學新法 第5號』.
村上淳一 1997 『〈法〉の歴史』 東京大学出版.
森村進 2015 『法哲学講義』 筑摩書房.
ラッセル 1970 市井三郎訳『西洋哲学史3』 みすず書房.
ルーマン 2003a 馬場靖雄訳 『近代の観察』 法政大学出版.
ルーマン 2003b 馬場靖雄ほか訳 『社会の法』 法政大学出版.
ルーマン 2004 村上淳一訳 『社会の教育システム』 東京大学出版.
ルーマン 2020 馬場靖雄訳 『社会システム (上)』 勁草書房.
 
文部科学省「高等学校指導要領における歴史科目の改訂の方向性」(https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/062/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/06/20/1371309_10.pdf , 2020/03/30参照).
国会図書館ホームページ「穂積八束博士論文集」(https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000567488-00 , 2020/03/31参照).
国会図書館ホームページ「国体の本義」(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1156186 , 2020/03/31参照).
名古屋大学大学院法学研究科「法律情報基盤」(https://law-platform.jp/ ,2020/03/31参照).
自由民主党2012「日本国憲法改正草案に関するQ&A増補版」 憲法改正推進本部 (https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/pamphlet/kenpou_qa.pdf , 2020/03/31).
・日本弁護士連合会ホームページ「弁護士白書」(https://www.nichibenren.or.jp/jfba_info/publication/whitepaper.html , 2020/04/02参照).
・日本弁護士連合会ホームページ「民事司法改革と司法基盤整備の推進に関する決議」(https://www.nichibenren.or.jp/document/assembly_resolution/year/2011/2011_2.html, 2020/04/02参照).

*1:穂積八束に関しては、その論文集が国会図書館ホームページでデジタル公開されています。

*2:ナポレオン法典について教科書的にまとめるのであれば、それはフランス革命の成果を制度として定着させるための法典であったといえるでしょう。周知のとおり私的所有権の絶対性や法の前での平等などを掲げ、ヨーロッパ中の民法の模範となったこの法典は、第一編第一章のタイトルに「私権」を掲げていました。ボアソナード民法上でも、「私権」の概念は「社会の公益」に先立つものとして位置づけられています (明治28年草案第4条)。  なお、ナポレオン法典については、ネット上で中村義孝による訳が閲覧可能です。ボアソナード民法典やその他明治期の法律については、名古屋大学大学院法学研究科が「法律情報基盤」というサイトを公開しており、様々な資料をまとめています。

*3:まぁ「最近の若者は人を大切にする心を忘れた」くらいにまで一般化すれば、本当にいつの時代にも見られるような言説の一種なのですが。

*4:なお、「歴史から切り離された抽象的な個人を想定している」という一般化はフランス系の社会契約思想等に関しては確かに当てはまる部分もあります。しかし、イギリスやドイツに関しても当てはまるかは疑問です。特にコモン・ローを中心に形成されるイギリスの法学は歴史志向的側面を有しており、そもそも民法典論争自体も一つには社会契約思想を掲げるフランス法派と歴史主義を掲げるイギリス法派との対立という側面をもっていました (青木,2005)。イギリス法派に属した穂積自身も、ボアソナード民法上の家族なるものは欧州の歴史から考えてみて誤っているのだと論じており (穂積,1891)、その点に関しては彼も徹底して歴史的だったのです。その歴史観が正しいかどうかはまた別の問題なのですが。

*5:例えば、王権神授説を唱えたフィルマーは、神はアダムに国王権を与えたのであり、その権力はアダムの後継者たる王へと引き継がれたのだと説明しています (ラッセル,1970)。王権神授説はこのようにして権力の源流を創造神話へと求めるのであり、その点で例えば「人間の自然状態とは何か」を仮定して権力論を組み立てる社会契約説とは大いに異なる発想でした。なお、王権神授にはプラトンアリストテレスの議論も援用されていたため、キリスト教的世界観だけに王権神授の説明を求めるのは王権神授説像をやや単純化しすぎているかもしれません。この点には注意が必要です。

*6:ロックは第一論文にて教会法・封建法を反駁し神学理論に基づく権力説明を退けます。そのうえで、第二論文にて社会契約説を提示しました。

*7:自然法論については長い伝統があり、その起源をたどれば古代ギリシアにまでさかのぼることができます。自然法論の歴史については、(太田,2014) や (笹倉,2002)。

*8:『統治二論』のまとめにあたっては、(辻,2014) を参照しました。この論文では、ロックがどのような社会状況の下で議論を展開したのか、それはどのような点でグロティウスなどの自然法論と比べラディカルだったのかなどがまとまとめられています。

*9:そもそも東アジア圏に「私権」の概念が薄いことについては、森村進法哲学講座』「第二章 法実証主義とは何か」が読みやすいです。「中国や日本では西洋法と違い、私人間の権利義務関係を規律する私法は土地所有関係を別にすると周辺的なものにすぎず、この領域は大体民間の習慣に委ねられていた」(森村,2015:61)。これに対し、先の注でも触れたように、西洋の法は伝統的に民法 (私法) を重視するものでした。ローマ法大全『学説類集』の約9割が民法領域にあたる内容であったことなどからも、西洋が民法を法の中心においてきたことがわかります (森村,2015:68)。

*10:なお、民法典論争以降、日本の民法はドイツ法に大きな影響を受けることとなっていきます。大日本帝国憲法プロイセン憲法を参考にして作られていたので、結局のところ日本はドイツからかなり大きな影響を受けたと言えるでしょう。なぜドイツだったのでしょうか。ドイツが立憲君主制であったことも大きいのですが、ドイツの憲法・司法が諸外国に比べ一歩進んでいたというのが第一の理由だと考えられます。憲法に関していえば、私権の強調と諸革命は自由権 (国家からの自由) を生み出すことに成功した一方で、社会権 (国家による自由) は生み出しませんでした。それを始めて明確に規定したのはプロイセン憲法だったのであり、その点でプロイセン憲法は産業化を経た世界状況に対応する内容を備えていたと評することができるでしょう。司法については法典編纂がフランスより遅れたことで、かえって19世紀末の社会を律するにふさわしい内容と体系を備えた法をつくりあげていたといいます (青木,2005:79)。いずれにせよ、ナポレオン法典などはこの時点ですでに一種の「古臭さ」を感じさせるものであった可能性が高いといえるでしょう。

*11:一応断っておくと、大日本帝国憲法で私的所有の権利が軽んじられたわけではありません。むしろ伊藤博文はその草案を作るにあたり、臣民の「権利」を明記することにこだわり (明治21年6月22日枢密院審議録.いわゆる伊藤・森論争)、草案前文(上諭)にも天皇は臣民の権利・財産の安全を保護すると書かれました。これは事実です。ただ、少なくとも社会契約説にあたる発想が排除されていたことについては、「臣民」といった用語からも容易に見て取ることができます。そこにおいて臣民とは天皇に権利を与えられた存在であり、自ずから権利を有した一主体ではありえなかったのです (なお、大日本帝国憲法や各種法典の内容をかいつまんで比較したい場合は岩波『人権宣言集』が便利)。  ここでついでに触れておくと、伊藤博文は社会契約説についても熟知したうえで、その議論が登場する前提となるところの「宗教」が日本には存在しないこと、それゆえに新しい政治制度を人々に浸透させる基軸がどこにも存在していないことを嘆き、「皇室」を基軸にした政治・司法システムを作り上げんと模索していました。「抑欧州に於ては憲法政治の萌せる事千余年、独り人民の此制度に習熟せるのみならず、宗教なる者ありて之が基軸を為し、深く心に浸潤して人心此に帰一せり。然るに我国に在ては宗教なる者其力微弱にして一も国家の基軸たるべきものなし。(…) 我国に在て基軸とすべきは独り皇室あるのみ」(枢密院における憲法草案審議開始に際しての演説.村上,1997より孫引き.なお、この演説について触れられた入手しやすい書籍として『伊藤博文演説集』(瀧井,2011) があるようだが、未読)。天皇制と王権神授説の間には類似性を指摘することができるのですが (ラッセル,1970)、伊藤博文はそのことも承知の上で政治制度の建設にあたったのかもしれません。

*12:西洋の人権説を退けようとする動きは現在もあります。自民党憲法草案のQ&Aを読んでみましょう。「また、権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」(自民党日本国憲法改正草案Q&A増補版』,2012:Q14)。まるで、これまでの議論のリフレインのようではないでしょうか。もちろん自民党案も自然権まで否定するものではないのですが、前文から「国民の厳粛な信託」といった社会契約説上の文言が消去されていること、「個人」という語が「人」に変更されていること、その特異な憲法観・家族観 (「家族の絆が薄くなってきていると言われている」という理由を掲げ、憲法に「家族は、互いに助け合わなければならない」と規定しようとする姿勢) などを併せてみたときに、民法典論争や「国体の本義」との類似性は無視しにくくなります。