世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

カード法の提案と、古代ギリシアの授業案 (第4節) — 結論と補足

4. 結論と補足


 以上、教科書に依拠して、範囲の内容を網羅的に扱い、可能な限り楽をしながら (?) 、生徒自身に何かを考えさせ論じさせる実践を考案しました。何より重要なテキストである教科書を、しっかりと読み解くだけの読解力をつける。そのうえで、それらを整理し、あわよくばそれを使って生徒自身が物事を考える。そうした実践の可能性を提示できたかと思います。



 なお、ここで紹介した例では、ほとんどの内容を生徒の作業 (生徒によるカード作成) に任せています。これはあくまでフルバージョンとして想定したものであり、実際にこれをすべて完遂するのは難しいでしょう。そこで、もし時間がなかったり、作業が生徒のレベルにあっていなければ、ここから生徒の作業量を減らしていくことをお勧めします。ちなみに、カード法には「教師が自分で説明したいと思えるくらい楽しいところは、自分で説明する」「それ以外の微妙なところは、生徒自身のカード作成作業に投げることができる」という利点もあります。それを意識しながら作業量を減らしてみても良いかもしれません。カードを穴埋め形式にする手も有効です。

 また、あまりレベルの高くない学校では、最後のレポートを飛ばしても良いかと思います。一つの解釈やわかりやすい物語にこだわりすぎることの危険性を伝えるだけでも良いでしょうし、簡単な感想と疑問を生徒に書いてもらえば、そのなかに「問い」の萌芽を見つけることができるかもしれません。それを拾い上げて、教師の側で展開してあげるのも良いでしょう。レポート確認も大変ですし、無理をする必要はありません。

 困難校の場合は、とりあえず教科書の内容をまとめさせるためにカードを利用しても良いです。それだけでもかなりの読解力が試されます。私の勤務校の場合はそれも少し難しいので、カードは穴埋め形式にし、そのカード間の論理的な関係性を考えさせるといった形で実践しました (下例)。本稿1.1で掲げた「問いを考えさせる」という目標にはなかなか届かないかもしれませんが、論理的に考える訓練くらいにはなるでしょう *1


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 最後に、以上の実践例は、あくまで理想であり、いわばモデルのようなものです。実際に授業をしてみたら、思ったより上手くいかなかったり、できなかったりすることもあるでしょう。しかし、それはそれ。本稿で繰り返し論じてきたことですが、実践の場で何が起きたのかを捉え、起きたことの意味を考え、修正を加えていけばよいのです。そういう愚直で情けない修正を恐れないことこそが、おそらくは現実の社会を生きる上でもっとも重要な力なのですから。







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*1:ここまで退化させると、逆にジグソー法に似通ってきます。