世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

アッシリアはなぜ1400年も "続いた" の?①

1. アッシリアに関する 2 つの疑問


 高校1年生のときに、世界史の授業を聞いていて、疑問に思ったことが2つありました。どちらもアッシリアに関するものです。
 一つ目は、アッシリアが前 2000 年紀から前 612 年まで 1400 年近くも続いた」とは、いったいどのような事態を指すのか、ということです。「なんで1400年も続いたのか」ということ以上に、「そもそも古代において1400年間 “アッシリア” が続いていたというのは、一体どのような事態を指すのだろうか」ということが疑問だったわけですね *1


 さて、二つ目の疑問は、アッシリアの描写に関わるものです。例えば『詳説 世界史研究』を紐解くと、 アッシリアは次のように説明されています (文献①:26-7)。

 四方に遠征したアッシリア軍の装備や戦いぶり、またその残虐さは、彼らが残した多くの浮き彫りによってよく知られている。(…) 有名な強制集団移住政策は、被征服民の反乱を防止するとともに、領内の労働力の適正配置をねらったものであった。 しかし、その支配があまりにも強圧的で苛酷であったために、各地に反乱が相つぎ、さしもの大帝国もまもなく崩壊した


 そのうえで、続くアケメネス朝は「服属した異民族に対しては、バビロニアに捕らわれていたユダヤ人の処置にみられるように、それぞれの伝統・文化を尊重し自治を認めるという、寛容な政策をとった」とされています (文献①:27)。このような見方の下で、大学入試などでも頻繁にアッシリアとアケメネスの政策を比較させる問題が出ます。しかし、この見方はどこか怪しい部分を残してはいないでしょうか。
 確かに、遺されたレリーフからはアッシリアの好戦的な性格をうかがい知ることができます。時代によっては暴力的遠征も行っていました。しかし、残虐・強圧的な政策で失敗したアッシリア、寛容によって成功したアケメネスという像は、図式的・教訓的にすぎます。要するに、「わかりやすすぎる」のです。このアッシリア像は正当なのだろうか、これが高校時代アッシリアについて抱いた第二の疑問でした。

 一連の記事では、この二つの疑問に取り組んでいきます。すなわち、(1) アッシリアが1400年間続いたとはどのようなことなのか、(2) アッシリアの異民族政策が「あまりにも強圧的で苛酷であった」という評価は一面的ではないか、という二つの疑問です。先に展開を示唆しておきましょう。私の見立てでは、この二つの問いは関連しあっており、一つの筋書きの下で回答が可能です。


参考文献

[文献①] 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『[改訂版]詳説 世界史研究』(山川出版社,2008).
[文献②] 大貫良夫『世界の歴史① 人類の起源と古代オリエント』(中公文庫,2009).
[文献③] 渡辺和子「アッシリアの自己同一性と異文化理解」(in『岩波講座 世界歴史2オリエント世界-7世紀』,岩波書店,1998).
[文献④]Lambert,W,G. ,“The God Assur,” Iraq 45, 1983.
[文献⑤] 柴田大輔「アッシリアにおける国家と神殿 ―理念と制度」(in「宗教研究」,89:79-105,2015).
[文献⑥] 山田重郎「軍事遠征と記念碑 アッシリア王シャルマネセルⅢ世の場合」(in「オリエント」,42:1-18,1999).
[文献⑦] 青島忠一郎「新アッシリア時代の王碑文における王の自己表象の変遷 ―「前史」の考察を手がかりに」(in「オリエント」,57:16-28,2015).
[文献⑧] 前川和也「古代メソポタミアとシリア・パレスティナ」(in『岩波講座 世界歴史2オリエント世界-7世紀』,岩波書店,1998).
[文献⑨] 渡辺和子「西アジア北アフリカ古代オリエント(2)(1994年の歴史学界:回顧と展望)」(in「史学雑誌」,104:922-5,1995).

*1: 実のところ、この疑問は至ってシンプルなものでありながら、とても答えにくい性質をもつものです。ある「国」がどのような意味で「存続していた」といえるのかという問いは、具体的である一方、高度に抽象的な問いでもあるからです。  「国」というものが特定の制度や領域を有する具体的な対象物でありながら、その制度も領域も多分に流動的なものであるということだけを見ても、「存続」について語ること (ひいては「国」なるものに語ること) は困難を極めます。一体、流動する事柄の存続なるものをどのように観念し、記述するべきなのでしょうか。何を目印に存続を語り、その正当性をどのように説明すれば良いのでしょうか (この問題を端的に表現した思考実験として「テセウスの船」と呼ばれるものがあります。あるいは、このような文脈のもとでヘラクレイトスが引用されることもあります)。  この記事では、渡辺和子さんの研究に拠りながら、この問いへの答えの1バリエーションを提示します。また、「国」や「組織」をどのように捉えるべきかについては、やや抽象的な議論を補論で追加する予定です。