世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

カード法の提案と、古代ギリシアの授業案 (第2節) — 身につけるべき能力ってなんだろう?

2. 身につけるべき能力ってなんだろう?




 まぁ以上いろいろと言ってきましたが、一応断っておくと、私は「何がなんでもジグソー法をやるべきではない!」と考えているわけではありません。別にやって楽しいことはあるでしょうし、「解けた!」という達成感を与えやすい方法ではあると思います (それゆえある程度の学力の生徒であれば、その出来レース感にバカらしさを覚えるだろうなとは思いますが *1 )。ただ、大きな負担をかけてまでそれを必死に準備しなくても、もっとシンプルな方法があるのではないか、それも、あらゆる知識に対応して拡張することが可能な、適度な柔軟さを有した方法があるのではないか、と思うのです。

 とはいえ、あまり具体的ではない話ばっかりしていても仕方がないので、この節では「高校生のうちに可能であれば身につけておきたい能力って何なのか」を考えていきます。それを把握したうえで、次節にて「その能力を身につけるための授業にはどういったものがありえるか」を提示していこうと思います。



2.1 情報を読み解き、把握し、まとめる能力


 ただし、「身につけるべき能力」というデカすぎるキーワードで教育を語ると、話は無駄に広がって全然焦点があわなくなってしまいます。なんでもかんでも教育が身につけさせるべきだとされて大変なことになってしまうのはよくある話ですね (だから教育はよく政治家の「おもちゃ箱」にされるわけです)。そこで、ここでは「何かを研究するための方法」に絞って話をしていきましょう。大学に進学すると研究をこなす能力が求められるうえ、実社会においてなんらかの問題を解決する際にもそれらの能力は重要になるからです。しかも、大学に入ったからといってその方法を誰かが丁寧に教えてくれるわけではないので、この能力を高校生のうちに身につけさせることには一定のニーズがあると考えても良いでしょう。まぁ中身を見ながら確認していきます。

 基本的に、生徒は自分がよく知らない範囲の話を授業で聞くことになります。そうした生徒の状況と自分自身を重ね合わせるために、「自分が全く知らない分野についてのレポートを書く」という場面を想像しながら話を進めていきましょう。未知の分野について、問いを立ててレポートを作成するとき、我々はどういう作業を行うでしょうか。

 先に述べたように、大抵の場合は図書館等で知識を入手し、それをもとに何かを考え始めるはずです。想像してみてください。すべての知識がバラバラである間は、その分野に関して何もわからない五里霧中のような状態です。しかし、ある程度書籍などを読み進めると、徐々に知識同士がつながって、わずかながらも全体像が見えてきます。もしかするとレポートのテーマとなりうるもの、「問い」のようなものも、少しだけ見えてくるかもしれません。

 このときすでに、重要な能力の存在が示唆されています。それは「情報を正しく読む能力」です。どのような文献を読むにあたっても、まずは情報を正しく読むことが重要になります。正しく読み、それを正しくまとめる能力は、決して軽視してはならないものといえるでしょう。これらの能力は、可能であれば高校生のうちに身につけさせたいところです *2



2.2 情報を整理し、それを論理的に整序する能力


 さて、このように文献を読み解き、まとめた情報をもとにして、我々は「考え」、そして「閃き」ます。ここで我々が行っている作業をより正確に表現するならば、それは書籍から特定の知識を抽出し、その知識同士の論理的な連結可能性を探っているのだといえるでしょう。

 こうした「知識の抽出とその連結」を可視化した、ものすごくオーソドックスな研究法があります。カード法などと言われるものです。例えば私は、本を読みながら、細かい知識なら100均のミニカードに、ある程度まとまったものになるとB5のいわゆる「京大式カード」に記入して保管しています。これは、レポートや論文を作成する際に結構一般的に採用されている方法だといえるでしょう (社会学者のニクラス・ルーマンは、この方法を徹底的に利用して、アホみたいに分厚い本を大量に書きました。ちなみに、私のおススメするカードはKOKUYOの「シカ-13」です。カードの使い方については後に提示する授業案のなかで触れますが、気になる人は検索してみてください)。この方法では、書籍・論文等において文脈化されている知識を、適度に脱文脈化しながら一つのカードにまとめていくことになります。知識はこうしてカードにされることで、手元で並び替えたり、様々なつながり (連結) を試したりできる対象となるのです。


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KOKUYOシカ-13 — 線の幅などを考えると、これがかなり使いやすいです。



 さて、実のところ資料を3つにわけて提示するジグソー法は、このカード法を応用したものとなっています。生徒に渡される情報はここでいうところのカードであり、そのカード間の関係性を考えさせるのがジグソー法というわけですね。繰り返しになりますが、この力を身につけること自体は非常に重要だと私も思います。ただ、ジグソー法からこのカード法というものにまで一度さかのぼってみれば、もっと適当で気楽にできる授業がたくさんあるようにも思えるわけです。ようは、ジグソー法を採用することで背負い込むことになってしまう制限を解除するため、一度戦略的に退化してみるべきではないかと。

 まぁとりあえずここでの話をまとめておくと、情報をカードのように捉えたうえで、それを論理的に無理のない形で並びかえる力が重要であるということです。そして、その能力を養うために、本稿ではカードというものを積極的につかった授業法を、後に提案していくことにします。



2.3 情報を意味づけ、意義づける能力


 ここで付け加えて注意しておくべきことがあります。それは、レポートを作成するとき、我々はただ情報を整理して、それを切り貼りしているわけではないということです。ただ情報を切り貼りしていたら、それはレポートではなくてただのコラージュ、ないしほぼ剽窃ちっくな何かになってしまうでしょう。実際のところ、我々は様々な情報を「意味づけ」、「意義づけ」ることを通じてレポートを制作しているのです。例えば先行研究のレビューがこうした作業にあたります。研究者は先行する研究を十分な形で意味づけることを通じて、その分野において十分に妥当な問いというものを案出していくのです *3

 以上をふまえるならば、情報を意味づけて、事象や研究の意義と限界を考えていく力は、とても重要なものであるといえるでしょう。こうした力は一朝一夕で身につくものではないので、高校生のうちから練習を重ねておくことが大切だと思います (大学の輪読でレジュメをつくる際に必ずコメントを書かされるかと思いますが、それはこうした能力を身につけるための訓練だったのでしょう。たまに書いてこない人もいますが)。



2.4 新たな情報に応じて、内容の構成を柔軟に変更していく能力


 そして、すでに1.2で論じたように、追加で登場した情報を受け止めて、仮説を柔軟に訂正していく力が必要となります。先に提示したカード法は、こうした点において優れた方法だといえるでしょう。カードを並び替えるだけで、全体の構成を大きく変更・修正することができるのですから。研究者がこの方法を採用するのは、おそらくそうした修正能力の高さゆえなのだと思います。



2.5 データベースを活用しつつ、問いを案出する力


 最後に、1.1で述べたように、データベースを活用しながら「問い」を案出する力が重要となります。ここで重要なのは、真空状態から突拍子もない問いを考え出すのではなく、データベースに支えられた形で「問い」と「それへの解答となる知識」を抽出するということでしょう。そうした試みのためには、(1) 教師がつまみ食い的にテーマを扱うのではなく、十分な知識をまんべんなく扱うこと、(2) そのうえで、それらの知識を使いながら、各自に問いを案出させることが大切かと思います。ただし、(2)についてはかなり難しいレベルの話になってくるので、教師がある程度まで例を示しながら話を進めていく必要があります。




2.6 まとめ — 求められる5つの力


 以上、5つの能力を挙げました。とりあえずまとめておくと、次のようになるでしょうか。1~5へと、段階的に高度な能力へ発展していきます。

1) 文献等を正しく読み解く能力


2) それらの情報をまとめ、全体像を理解したり、論理的な関係性を探る能力


3) その知識を意味づける (物事の意義ないし限界を論じる) 能力


4) 新たな知識が現れたときに、妥当な形で仮説を修正する能力


5) 問いを案出し、その問いに対する仮説を提示し、知識を用いて十分な形で論じる能力


⇨ レポートの完成



 以上の能力は、生徒が今後の人生において求められるものでありつつも、なかなか社会科などの教科において身につけることが困難なものです。ここまでを確認してきた我々としては、とりあえずデータベースを構築するための十分な知識を与えつつ、これらの能力を身につけさせることができるような実践を、以下で考えていく必要があります (なお、以下ではここで挙げた能力を、「授業内容 (例えば「古代ギリシア」といった内容) に直接はかかわらないが、授業において身につけさせたい能力として位置づけている」といった含意をもたせるために、「[授業の内容に対して]メタ的な能力」と呼ぶことにします)。






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*1:あるいは、[注3]で示唆したように、与えられた答えに対して不満を抱く生徒も登場するでしょう (私はそういうタイプです)。NHKのちこちゃんとかを見ていて、素直に「なるほど!」と思える人なら大丈夫なのでしょうが……。

*2:それ以前に、そもそも有益な情報にアクセスする能力がとても大切になるのですが、とりあえずここでは脇に置いておきます。高校の授業では基本的に「教科書」という基本テクストがあるため、まずはそれを読み解く能力に焦点を合わせておきましょう。

*3:本稿の場合は、知識構成型ジグソー法を意味づけ、その限界を考えることを通じて問題を提起してきました。