世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

文献紹介:初沢亜利『東京、コロナ禍。』 ~写真から考える、コロナ禍がもたらしたもの~


 改めて緊急事態宣言が出されそうになっている今だからこそ、おススメしたい写真集があります。コロナ禍の東京の姿を、約4か月という短いスパンで切り取った、初沢亜利『東京、コロナ禍。』(柏書房,2020) です。


東京、コロナ禍。



 私も最近よく写真を撮るのですが、写真というものはとても面白いもので、基本的には景色の一部を切り取っているだけであるにも関わらず、ときにどこか批評的な意味合いを帯びることがあります。例えば、この記事に掲載されている写真を見てください。これらはすべて『東京、コロナ禍。』に収録されているものです。とくに注目してほしいのが、一番下にのっている「使用禁止にされた荒川区の公園の遊具」。私は本屋でこの写真を見たときに、思わず写真集を持ってレジへと直行してしまいました。


 (印刷されたものを見るともう少し細部における技術の上手さを見ることができるのですが、ネット上の記事だと解像度が低くなってしまうこともあり) 記事を見る限りでは普通の写真に見えるかもしれません。少なくとも、緊急事態宣言下でほとんどの人が目にした、都内や近郊ではありふれた光景であるといえるでしょう。しかし、公園の遊具の周りに「立ち入り禁止」というイエローテープが過剰なまでに張り巡らされた状況は、そこだけ切り取って見るとかなり異様なものであるようにも見えます。


 この写真が第一に伝えているのは、コロナ禍において、公園の遊具は突如「危険物」として扱われるようになったということです。ひいては、公園という公共の場、さらにいえば公共空間全体が、何よりも危険なものとして扱われるようになったということを、我々に対して伝えています。コロナ、そして緊急事態宣言というものが、公共空間の意味合いを大きく変化させたこと、その様子をこの写真は切り取っているのです。


 しかし、第二にこの写真が伝えているものがあります。それは右下にそれとなく写り込んでいる、ブランコに乗る少年の姿です。少年は、危険物と意味づけられた遊具に乗り、大きく体を空へと投げ出しています。この写真集にはほかにも、イエローテープが貼られたシーソーに乗って (もはやイエローテープそれ自体を遊具にしてしまうかのように) 楽しそうに遊ぶ子どもたちの様子が収録されているのですが、ブランコの少年やシーソーで遊ぶ子どもたちを見ていると、空間の意味づけのせめぎあいのようなものを感じてしまいます。コロナ禍の前まで、公園で子どもが遊ぶのは自然の光景でした。しかし、緊急事態宣言下、あるいは感染拡大のさなかにある今日においては、公園はなにかしらのせめぎあいの場、特定の緊張感をはらんだ場へと変容してしまったのです。


 優れた写真は、批評的な景色の切り取り方をし、それを鑑賞者に対して提示することで、鑑賞者の目にうつる景色の見え方を変えてしまいます。コロナ禍の街並みに少しずつ慣れてきており、ついつい色々なことを見逃してしまう今だからこそ、そうした写真を見て観察眼を養うこと、それが案外重要なのではないでしょうか。


 この写真集には、ものの見え方を変えてしまう力をもった優れた写真が多く収録されています。同時代の日本をこのように高度な批評性をもって切り取ることのできる著者 (撮影者) の観察眼には感嘆せざるをえません。ぜひ、一度目を通してみてください。




book.asahi.com

「表紙に選んだのは子どもの頃に遊んでいた、家の近所にある公園の遊具。少なくとも40年前からあったのに、改めて見たら、コロナウィルスに見えた。いったんそう見えたら、なんでコロナにしか見えなくなっちゃうんだろう。世の中の偏見の中に自分もいたということを確認しますよね。そういうおかしさがあるんです。」