世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

歴史における諸概念とどう向き合うか


 以下の文章は、もともと古代中国における行政区分の変遷を論じる記事の冒頭となるはずでした。
 残念ながらその記事はお蔵入りしてしまったのですが、最初に述べていることはまぁ大切なことなので公開しておきます。


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 20世紀の歴史学は、「国家」について語る際に大きく二つのことを反省してきました。第一に、近代以降の概念でそれ以前の歴史を語ること。第二に、西洋の概念でそれ以外の地域 (東洋など) を語ることです。例えば、今日「国家」と呼ばれているもの (今日「アメリカ」や「日本」と呼ばれているようなもの) と、古代の政治体は同様のものなのか。「国家」というものをどの地域にも普遍的に適用できる概念であるとして捉えても良いのか。そうしたことが論じられてきました。その成果もあって、近代以降「国家」と呼ばれるものは「国民国家」であるということ、帝国主義時代における植民地化の進展と同時に (西洋の一部地域に特殊なあり方でしかなかった)「国民国家」という在り方が、世界中に輸出されたということなどが指摘されたのです *1

 さて、このような指摘が為された以上、我々も我々の頭のなかにある「国家」観を捨てて歴史を見ていかなければならないということになります。今日あるような国家の形を念頭において各政治体を見ていくことはできないのです。すると、ここで問題に直面します。そうはいっても、一体過去の世界において「国家」などと呼ばれていたものを、どのように捉えなおせばよいのだろうか。世界史においては、そうした捉えなおしを手助けするような概念がいくつか用意されています。「都市国家」や「領域国家」といったものです。しかし、それで何か曖昧さが解消されるわけではありません。むしろ疑問は増えるばかりです。「都市国家」とは具体的にどのようなものなのか。「領域国家」というものと現在の国家は何が異なるのか *2。「都市国家」から「領域国家」になったと言われたりするが、一体どのような経緯でそれは移行していき、そもそもどうなったら「領域国家」になったことになるのか。

 さて、このように増えていく疑問に対して、概念の条件 (必要要素) を明らかにすることで対応しようとする人もいます。その試みもまた虚しいものです。例えば、「都市国家」というものが何かを明らかにするために、「何が存在していれば都市国家と呼べるのか」(何が必要要素なのか) という問いを建てたとします。一般的にはこの問いに対して「城壁」「神殿」「神権政治」などが挙げられるのですが、これに対して反論をしたり反証をしたりすることは容易です。城壁がなかった場所は遺跡として残らなかったのかもしれません。小さな共同体のなかで神権政治が行われていたとしてもそれが即座に都市国家であるとは見なしがたいです。商人が力を持つ場合もありえました。もし、「都市国家」や「領域国家」「主権国家」などの様々な概念の内実を、その必要要素や本質から固定していかなければならないとしたら、すぐに無理が生じることでしょう。便利な言い方をすれば、2つとして完全に同じ事柄などなく、各事例の間には家族的な類似しか存在しないのです *3。各事例から統一的な必要要素を含む概念を帰納的に導くことはできず *4、同様に概念が当てはまる事例を演繹的に導くこともできません *5。これは歴史的概念一般に言えることです。歴史的な概念とは、ある程度の類似性に基づき (すなわち、なんらかの一側面から)、事象を分類し、そうすることによって比較の視野を開くものであるといえるでしょう *6


〈参考文献〉
小山哲ほか 2011 『大学で学ぶ西洋史[近現代]』 ミネルヴァ書房.
永井均 2002 「家族的類似性」(in 永井均ほか編 『事典 哲学の木』 講談社).

*1:14,15世紀のヨーロッパに目を向けると、国民国家以外の様々な政治秩序の可能性があったことがわかります。イギリス・フランスは後の国民国家に近い枠組みで政治統合が進みましたが、ドイツにおいては個々の領邦で統合が進み、イタリアでは都市国家において統合が進みました。北欧・東欧においては同君連合による複合国家が成立し、スイスは君主を排除した連邦的地域連合を目指しています (小山ほか,2011:297)。よく世界史を語る際に、「ドイツとイタリアは遅れて国になった」と説明されることがあるのですが、それは「国民国家」への発展を必然の物として捉えている発想に支えられた見方であるといえるでしょう。実のところドイツやイタリアが示唆しているのは、別の形がありえたこと、国民国家はありえた形の一つに過ぎないということなのです。

*2:例えば、教科書には「アッシリアの最大領域」などが載っていて、これを見ているとまるでアッシリアが国境を持っているかのように見えてきます。他方で、今日国境と呼ばれる概念は、近世以降生み出されたものだ (1555年のアウグスブルグ和議や、1648年のウェストファリア条約によって、特定領域に対して主権を有する主権国家というものの原型が承認されたことに端を発するものだ) という話を授業で聞くかと思います。では、一体主権国家誕生以前の政治体が有していたように見える領域とはどのような性格のものなのでしょうか。そもそも主権国家からしてなかなか理解が難しい概念であり、こうした疑問を解くことはかなり難しいことのように思われます。

*3:家族的類似とは次のようなものです。「ウィトゲンシュタインは8人兄弟の末っ子であった。両親を含めて10人はひとつの共通の点においてではなく、さまざまに異なる点で似ていた。ある5人は髪の色が似ており、そのうちの2人を含む6人は顔の表情が似ており、そのうちの3人を含む7人は話し方が似ており……といった具合にである。しかし、ウィトゲンシュタイン・ファミリーの全員に共通する単一の性質はない。このような類似性のあり方を家族的類似性という」(永井,2002)。ここから、あらゆる概念には「本質」など存在しないといってしまっても良いかもしれません。

*4:事例a,事例b,事例c…事例nから、概念Xの本質xを導きだすことはできず

*5:「要素群xを有するものが概念Xに当てはまる」「事例aは要素群xを有する」「事例aは概念Xの1事例である」という推論をすべての事例において可能にする要素群xを想定することは不可能です

*6:例えば、ある地域Aにおける古代都市と地域Bにおける古代都市を、それぞれの文脈に即した固有のものとしてのみ見るのではなく、同じ「都市国家」というカテゴリーに含めることで差異を比較する。あるいは、「都市国家」というカテゴリーと「領域国家」というカテゴリーを作ることで、それへの発展過程を比較する、といったように。