ゲームで世界史を学べるか —『アサシンクリード・オリジンズ』を例として—②
Ⅱ 古代エジプトを歩く
では、ディスカバリーツアーの内容を見ていきましょう。ツアーは、画像のようにテーマごとに細分化されています。
内容も多岐にわたっており、政治から学問、ピラミッドなどの文化から日常生活まであらゆるものがあるのですが、今回はそのなかからエジプトの農業とミイラについてを紹介します。
政治や学問に関わる話もかなり面白いのですが、より日常の生活に近いところを選びました。どの程度まで生活の様子が再現されており、またどういったことを学べるのかを判断してみてください。
(1) エジプトの農業
それでは、エジプトの農業について見ていきましょう。農業にとっても、あるいは単に生きていくうえでも、水は不可欠のものです。水とのつきあいがなければ人は生活していけないので、やっぱり歴史を勉強しているとついつい「治水」に注目してしまいます (あまり関係ないのですが、台地上の城や都市を見たときに、ついつい水をどのように確保していたのか考えちゃいませんか? 歴史好きあるあるだと思うのですが)。本ツアーでも、エジプト人がどのように灌漑を行ったのかから話が始まります。灌漑にあたってエジプト人が発明したのが、シャドゥーフと呼ばれるものです。
石の重さを利用して水をくみ上げるこの装置のおかげで、水を川よりも高いところにくみ上げることができました *1。この装置はわりと世界各地に見ることができて、メソポタミアなどでも存在していたようです。日本だと「はねつるべ」と呼ばれています。以下の画像を見ればわかるとおり、シャドゥーフが何段か連続しておかれていたり、シャドゥーフ以外にも水を上げる工夫がなされています。『オリジンズ』の世界には、こうした農村がいたるところにあるのです。
脱穀の解説を読みつつ、農村全体の様子を見渡してみましょう。人々が脱穀作業を行っているほか、「鳩の塔」と呼ばれる白い建物が建っています。鳩のフンは肥料として利用しやすく、場合によっては鳩を食べることもできるため、重宝されたようです。現在でも、エジプトやイランあたりに残されています。
この人たちは必死になにかをこねています。近くには窯があるので、何をつくっているか想像がつきますよね?
こうした農業道具なども、画像をふんだんに用いて解説してくれます。
さて、ツアーを先に進めましょう。脱穀の過程を抜けると、ツアーは穀物流通と保管の話へと移っていきます。詳細は省いてしまいますが、ただの農業技術的な話で終わらせずに流通方法や保管方法にまで触れているあたり、真面目です。歴史学習コンテンツとして作り込もうという意気込みを感じます。なんというか、ただの「こういう技術がありました」系面白話で終わっていないのです。
さて、エジプト人は小麦粉を貯蔵せずその場に応じて製作していたようなので、流通の話が終わってから小麦粉の話が来ます。さっきの人がもう一度出てきました。粉に水をまぜて、練って……一連の動作がちゃんと再現されています。
最後に、ちょっと衝撃的な話です。
エジプト人は砂の混ざった食事をしていたため、歯がすり減っていた……いわれてみればそうなんだろうと思いますが、考えたこともなかった話でした。
(2) ミイラの重要性
続いては、ミイラの重要性というツアーを見ていきましょう。ミイラ関係のツアーはいくつかあるのですが、ミイラに関する考察が面白かったのでこれを選びました。大抵映画や小説においてミイラが出てくるときは、発掘した誰それが呪われたとかそういう曰くつきの品として紹介されます。そうした「ミイラの呪い」表象はどのようにして生まれたのでしょうか。
本ツアーはミイラづくりそのものよりもミイラに関する周辺的な話題を集めたものであり、最初に防腐処理師とその社会的地位について触れられています。以下のとおり、防腐処理は一つの専門的職業として認められていたのです。
ちなみに、防腐処理師の動きもよく再現されています。お腹のなかに手を入れてなんか作業をしていると思ったら、鼻から棒を入れて脳みそを取り出そうとしていたり……。
話として興味深かったのは、防腐処理師の社会的地位についてです。当初防腐処理の現場は町はずれのテントであったのですが、技術の発展にともなってなのか、新王国時代には町中に移動したとされています。防腐処理の作業は、捉え方によっては「ケガレ」の領域に位置するものです。一方で階級を与えられていた処理師たちでしたが、他方の日常ではどのような扱いを受けていたのか。ここはもう少し調べてみたいと思いました。
ツアーに話を戻して。裕福な人以外もミイラをつくりました。もちろんファラオのミイラが最も手の込んだものであり、庶民がそうした方法で埋葬されることは到底なかったのですが。
それでも、多くの人たちがミイラを作ったのは事実なので、かつてのエジプトにはかなりの数のミイラが残されていたのでしょう。ちなみに、ランクの低いミイラづくりでは防腐処理も簡略化されていました。では、本当にお金のない人たちはどうしたのでしょう。以下の画像を見てください。
なんと、塩漬けです。ナトロン、すなわち塩に、漬け込んでおくのです……。なんともいえない気持ちになる光景ですね……。
さて、ここからツアーは、ミイラに向けられたまなざしの方へと話を移していきます。もともとヨーロッパの人びとは、長いことミイラに関心を向けてきました。そうしたなかでエジプトブームに大きく火をつけたのが、ナポレオンのエジプト遠征です。
ナポレオンによるエジプト遠征の数年後に生まれたのが、旅行業の立ち上げ人と呼ばれるトマス・クックです *2。万国博覧会と並び19世紀における「世界」へのまなざしを創出した彼の旅行業が、1869年に目を付けたのがエジプトでした *3。富裕層たちはエジプトツアーに夢中になり、なかにはミイラを持ち帰る者まで現れます。ミイラを持ち帰って見世物とする。これがブームになりました *4。
そして、それが「ミイラの呪い」イメージにつながったと考察されて、ツアーは終わります。
さて、以上の考察の妥当性がどの程度のものなのか判断する能力が私にはないのですが、このツアーのように考えてみると、「ミイラの呪い」イメージはヨーロッパからエジプトへのまなざしが作り出したものであり、とくに近代においてそれが大衆化されるようになったと考えることができるでしょうか。これはとても興味深い話ですね *5。
長々と紹介してしまいましたが、ツアーの内容は以上になります。どうでしょう? なかなか充実した内容だと思いませんか? 今回は短めのツアーを選んでいるのですが、20分を超えるツアーも結構あり、内容も専門的です (それゆえ、ついていくのが大変だったりもするのですが)。
次回の記事では、こうしたツアーがどのような利点を有するのかについて考察したいと思います。
*1:ちなみに、先の記事で引用したキレナイカ水道橋の建設現場でも、岩の重みを利用したクレーンが写っています。理屈は同じですね。ただし、ローマのクレーンとして一般に想像されているものとは形が異なっており、これがどのような史料をもとに作成されたものなのかはよくわかりません。先ほど『オデッセイ』のほうにも港の荷揚げにこれと似た装置が使われていることを確認したので、私が知らないだけで一般的なのかもしれません。
*2:クックの人生については以下の論文を参考。トマス・クックによる旅行業の開拓
*3:博覧会とツーリズム、そしてエジプトの関係については以下のような論文がありました。関西大学学術リポジトリ。 また、博覧会については吉見俊哉『博覧会の政治学』(1992) なども面白いです。
*4:有名人としてはイギリスのトーマス・ペティグルーがいます。当時の写真などは次の記事に。ギャラリー:ミイラ巡る黒歴史 写真11点 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト