世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

文献紹介:大島隆『芝園団地に住んでいます』(2019)

 そういえば、ちょっと前に読んでとても面白かったのに、どういうところを面白いと思ったのか書いていなかったなと思い出し……。大島隆『芝園団地に住んでいます 住民の半分が外国人になったとき何が起こるか』(明石書店,2019) を紹介してみます。

 埼玉県蕨市芝園団地に住み始めた筆者が、自治会活動などに参加をしながら、日本人住民と外国人住民の間に存在する壁の内実と構造を明らかにしていく良書です。





 最初に、芝園団地について、筆者である大島さんによる説明を載せておきましょう。


 芝園団地は1978年に日本住宅公団(現在のUR都市機構)が建てた賃貸住宅で、約5000人が住む。1990年代から増えた外国人約2500人の大半が、中国人だ。2015年11月、芝園団地がほぼ全域を占める川口市芝園町の人口は、初めて外国人住民が日本人を上回った。

 90年代は外国人は入居不可という賃貸物件も多かったが、公団の賃貸住宅は中長期の在留資格を持つ外国人も借りられるため、増えたとみられる。

 都心から1時間足らずと通勤の便がよく、78年の完成当時は先進的な住環境が人気で抽選になったほどだ。だが日本人は高齢化が進んで減少。古くから住む住民の多く70代以上だ。現在は超高齢化と外国人住民との共生という、「課題先進地」となっている。

(芝園団地に住んでいます 記者が住民として見た、「静かな分断」と共生:朝日新聞GLOBE+)

 ネットなどで一般に「外国人が多い」とされる芝園団地ですが、それと同時に大島さんが重視するのは「日本人住民の高齢化」です。高齢の日本人住民は、公団住宅があこがれの的であった時代に芝園団地に移り住みました。「『自分の棟は倍率が何倍だった』と話すときは、どこか誇らしげだ」とあるように (:35-6)、日本人住民は芝園団地に対してある種の誇りを抱いているのです。一方で日本人住民が「高齢で、団地があこがれの的であった時代を経験しており、今後も移住は考えにくい」のに対して、他方の外国人住民は「若年くて定住しにくい」。2つの集団におけるこうした差異が、団地の運営をめぐるある種の確執へとつながっていきます。

 本書の最大のおもしろさは、自治会活動における具体的な場面を通じて、こういった住民間の確執が (主に日本人側に主眼を置きながら) 記述されるところにあると私は思っています。例えば、毎年夏に行われる「ふるさと祭り」について。2017年、祭りを準備する会議で、それぞれの出店場所を調整する際に一つの問題が起こりました (:63-84)。例年こども向けの露店を出してきたテニスクラブが、今年は出店をとりやめると申し出たのです。理由は、露店の場所に関するものでした。

 そもそもテニスクラブは祭りのやぐらに近い一等地に露店を出していました。そこは数年前から中国系の保育園の軒先になっていたようです。ある年以降、その保育園も祭りに露店を出すようになっていたのですが、この2017年には保育園側が露店のスペースを増やしたいと申し出ました。その結果として、テニスクラブの露店の位置が20メートルほど移動することになってしまったのです。テニスクラブ側はこれに納得せず、出店を取りやめました。

 一見すると、テニスクラブ側の出店取りやめはやや不可解に見えます。そもそも軒先の賃料を払っているのは保育園であり、代替案としてテニスクラブには別のスペースも割り当てられていたのですから。しかし、祭りの打ち上げに参加した筆者は、そこでのやり取りから、この出来事が当事者にとってどのような意味を持つのかを理解します。「これは、単なる場所の問題ではない。『誰の祭りなのか』を象徴しているのだ」(:69)。


 後日、「のんのん」で雑談をしているときに、福島さん[注:自治会長]に聞いてみた。

「あのとき[注:祭りのあとの打ち上げで]、どんな気持ちで保育園に『もっと協力しなきゃだめだ』と言ったんですか?」

 福島さんの答えは、ある意味で明快だった。

「だって、新参者じゃん。だったら新参者らしくしなきゃ」
 そこには、自分たちこそがこの団地の主たる住民であり、ふるさと祭りは「自分たちの祭りなのだ」という強い自負がうかがえた。
 わずか20メートルの移動ではあるが、そのことへの抵抗は「自分たちの場所だったのに脇に追いやられる」という反発と、不安の裏返しでもあった。(:70)

 自治会員たちがおかれた状況は非常に複雑なものです。一方で高齢化が進むなかで祭りを準備・運営することが困難になりつつあるが、他方で「自分たちの祭り」であるという意識や、外国人を「地域の一員」としてみなすことの難しさ、祭り運営の協力を依頼することの困難さが外国人住民の自治会活動への参加 (あるいは日本人の活動への参加) を阻みます。この複雑さを (歳末餅つき大会でのエピソードをふまえて) 大島さんは次のように表現します。


 日本人住民の不満は、二重構造になっているのだ。
 表向きの不満は、中国人住民が応分の負担をしないという「ただ乗り」だ。ただ、より深い心の底では、そもそも自分たちの活動に入ってきてほしくないという思いが言葉や行動の端々に見えるのだ。(:96)

 こうした状況を確認したうえで、本書の後半では、データやインタビュー等から、一体芝園団地の住民を取り巻く状況はどのようなもので、なぜそうした状況ができあがったのかといったことが考察されます。そのうえで大島さんは共生の可能性を模索するのです。

 以上が本書のおおまかな内容です。今回、内容をまとめるにあたって具体的な自治会活動についてはあまり触れませんでした。しかし、実際に大島さんのいうような不満があるとしたら、それは普段の自治体活動において、なんらかの形で目に見えるものとして現れているはずです。特に両者が出会う場面では、それは顕著になるでしょう。例えば、外国人住民が来たときの関わり方、呼びかけ方、露店の場所……相手に向かって直接的に「この祭りは俺たちのものだ」「ここは俺たちの場所だ」ということはなくても、特定の行動がそれを伝達する。そういうことはよくあります。最初に挙げた「日本人住民」と「外国人住民」の対立という二分法も、そうした関わりのなかで可視化され形作られるものなのです (実際には迷惑行為をする日本人もそれなりにいるにもかかわらず、「外国人住民が」と言うことでその行為が一方に帰責されてしまい、そうしたかかわりのなかで2つの集団[カテゴリー]が表面化するといったように)。本書で挙げられている事例の端々において、そうした側面を見て取ることができます。

 私自身はあまり詳しくないのですが、こうした点において本書は、特定の地域におけるジレンマをエスノメソドロジーに近いところで分析するための示唆を与えてくれるのではないかと思っています。一方でデータなどを利用して芝園団地の状況を把握していきながら、他方で同じ団地に住むはずの住民が、同じ一つの「住民」というカテゴリーではなく、「日本人住民」と「外国人住民」という二つのカテゴリーを用いて行動を組み立て、まったく交わらないように生活してしまう様子を描く。本書はそうした性格のものだったのですが、もし問題を緩和し共生への道を探るのであれば、希望は後者にあるといえるでしょう *1。なぜなら、筆者が繰り返し示唆するように、「高齢化」も「移民の増加」も不可避の事態なのですから。それらを問題として捉え、それを解消しようとして無理に介入すれば、その介入は大抵の場合「歪んだ」ものとなるでしょう *2。もし、団地に住む人々の日常に対して社会学がなにかを示唆する可能性があるとするならば、それは「高齢化」や「移民の増加」を問題として捉えること自体にではなく、「そもそもある特定の場面において、問題はどのように構成されているのか」「どのような形で、問題は可視化されているのか」を明らかにし、具体的な場面から軋轢を解くほぐすことにおいてなのです *3


 日本人の側にはまだ、中国人も含めた「私たちの団地」という意識はない。
 中国人の側には「芝園団地の住民」という帰属意識自体が希薄だ。(…)
 新しい「芝園団地の私たち」というアイデンティティ
 そうした地域単位の緩やかな帰属意識を、団地の日本人住民と外国人住民が共有することができるのか。それは、歩き始めたばかりの芝園団地にとってはまだ、遠い先のゴールだ。(:215)

*1:もちろん、問題の所在を探るうえで前者の作業は重要であり、不可欠なものです。

*2:例えば、筆者が指摘するように「定住してほしくないがゆえに定住支援策を講じない結果、かえって問題が起きるというパラドックス」(:211) が現れたりします。

*3:さらにいえば、交流のための試みがどのようにその場で運用されるカテゴリーを変えているのか、といったことも研究されてしかるべきでしょう。それがひいては、どのようにすれば問題は緩和されるのかを明らかにすることにつながるはずです。