世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

今日の優生運動をどのように捉え、どのように評価するか ①

*2015年に作成したレポートを元にしています*

Ⅰ 序

 優生思想は、歴史・現代社会に関わる重要なテーマです。高校社会科でも、公民の分野において中心的に取り上げられています。本記事では、第二次世界大戦前の優生運動 (以下、旧優生運動とする) と今日の新優生運動との比較を行います。そのような比較を通じて、今日の優生運動を捉え、それを評価する視点を構築すること。それが本記事の目的です。

 以上の目的を達成するための手順として、はじめに、一般的なまとめ (藤川編,2008) を参照しながら、新旧優生学の差異・共通点を明らかにしていこうと思います。そのうえで、そうしたまとめ方が見落とすことになる新優生学運動の重要な側面を指摘していくことにしましょう。そこで見落とされる側面とは、① 新旧優生運動を支えている個人 (市民・科学者) の期待、② 旧優生運動に比べて巧妙な形で行われるようになった国家介入、③ 技術の発達によって変容する責任の概念 の三つです。新旧優生運動を比較することで明らかになるこの三つの側面に注目することで、旧優生学運動の歴史的教訓を十分に活かしながら、新優生運動の慎重な評価を行うことが可能になると私は考えます。


《構成》

Ⅰ 序

Ⅱ 新旧優生運動の差異と共通点
 1. 一般的なまとめ
  1.1 新旧優生運動の差異
  1.2 新旧優生運動の共通点
 2. 以上のまとめで見逃されるもの
  2.1 共通点としての個人の期待
  2.2 より巧妙になった国家介入 , 防波堤として機能しないリベラル優生学
  2.3 差異としての、責任観の変容

Ⅲ 結論:新優生運動の評価

 



Ⅱ 新旧優生運動の差異と共通点

1. 一般的なまとめ
1.1 新旧優生学の差異

 手始めに、藤川信夫編『教育学における優生学の展開』「はしがき」(勉誠出版,2008)を参照しながら、新旧優生学の差異を4つ指摘し、具体例と共に整理していきます *1
 

(A) 技術の進歩 / 技術を適用する範囲の変容

 新旧優生学を比較するうえで、最も顕著な差異として挙げられるのは技術の進歩でしょう。藤川らは、旧優生学では「優生結婚や断種、優生学的知識の啓蒙といった初歩的で不確実な技術しか存在していなかった」のに対し、新優生学では「出生前診断による選択的妊娠中絶の一般化や遺伝子治療の実践という現象が示すように、高い優生学的効果を実現できる技術」が実現しつつあるとしています (藤川編,2008:(1))。

 こうした技術変容の結果、アメリカにおける旧優生運動が禁絶的な性格を比較的強く有していたのに対して、今日の優生運動ではそうした性格が (表面上は) 払拭されています。たとえばかつての優生学は、断種によって精神薄弱などの遺伝を防ぐことなどに技術を適用していましたが *2 *3、今日断種法は見直され、各州でも謝罪や補償などの対応が行われています *4

 また、技術の変化は、そのまま技術が適用される範囲の変容を引き起こします。同じく断種実践などから明らかなように、旧優生運動において技術が適用されたのは、「子どもを繁殖し出産する親の世代」でした (藤川編,2008:(1))。しかし、今日の技術が適用される範囲は、親のみならずこれから生まれてくる子ども自身にまで、またDNAというミクロなレベルにまで拡大されています。
 


(B) 優生思想の根本の変化

 技術変容はまた、優生思想の根本にある考え方の変容を引き起こしていきます。旧優生学は「人間の遺伝決定論」をその前提とする傾向にありました。たとえばメンデルの遺伝法則の観点から「放浪生活」や貧窮について考察したダヴェンポートなどをその初期の例として挙げることができます。彼は環境要因を無視し、悪徳の形質が遺伝することを家族史・家系史から明らかにしようとしていました。「退化」した家族の家系図から、「精神薄弱者」の発生率を算出し、それにかかる社会的費用を算出しようと試みたのです (小野,2015:177)。

 しかし、今日では、「悪い遺伝子は治療・改造可能である」という考え方が優生学的働きかけの根本にあるといいます (藤川,2008:(2))。禁絶によって遺伝を食い止めるのではなく、遺伝子そのものを技術によって改良していくことが可能だとされているのです。遺伝子操作によるデザイナーベイビーが、その顕著な例でしょう。


 

(C) 介入の主体の変化

 次に、新旧優生運動においては介入の主体が変化しているということが指摘されています。旧優生運動において人々に介入したのは、国家・政府・州などの権力でした (藤川編,2008:(2)) *5。度々同じ例になってしまうのですが、やはり断種法をその代表として挙げることができます。

 他方、新優生運動においては、国家などからの強制的働きかけは息を潜めています。技術が生殖医療などの分野で発達したこともあって、新優生学的技術を使用するかどうかは基本的に個人の選択に任されることになりました。したがって今日の介入は、個人に対して、医療や営利目的の団体などを通じて行われています。

 ただし、〈国家から個の団体へと介入の主体が変化した〉というこのまとめについては、私は単線的に過ぎると考えています。これについては次節(Ⅱ-2)で検討していきましょう。



 

(D) 利する対象の変化

 この技術によって利益を得ることになる対象も変化します (藤川編,2008:(2))。旧優生運動において、優生学的技術は国家・社会の利害のために利用されていました。強制性をもった断種実践、優生学者が移民制限と関わってきたことなどを例として挙げることができます。あるいはセオドア・ローズベルトがダヴェンポートに送った手紙 *6 は、優生学的働きかけが市民社会のために必要であると捉えられていたことを示唆しています。

 しかし、今日の技術が恩恵を与えるのは、親に、そして生まれてくる子どもに対してです。デザイナーベイビーの技術は、社会のために利用されるのではなく、優れた遺伝的形質を有した子どもが欲しいと望む親のために利用されることとなります。

 このような変化に対応して、優生学的な働きかけを正当化する根拠も変化していると指摘することができるでしょう。旧優生運動において断種は公共の福祉、人種の利益のために必要とされるものでした。これに対して、今日優生学的な技術の適用の根拠となるのは、子どもの幸福追求権、あるいはそれを後見人として代理する保護者の権利です (藤川編,2008:(2))。

 この「はしがき」ではこれ以上のことは指摘されていないのですが、こうした変化は同時に、出産や子育てに関する責任の概念を変容させていくと推測できます。この点に関しては、次節にてサンデル(2009=2010:Ch.5)を参照しながら議論を展開していくことにしましょう。




 

1.2 新旧優生学の共通点:神学的願望

 最後に、新旧優生学の共通点として、その根底に「西欧近世以降の神話学的願望」が存在していることが指摘されています (藤川編,2008:(2))。「優生学は、科学としての性格と同時に、文化や宗教の違いを超えて人々をまとめ上げることのできる『代替神学』としての性格をもっている」。また、多くの神話は神的存在の誕生にまつわる「『不自然』な生殖」の物語を有しているため、生殖補助医療技術適用を阻止する倫理的支えを有していないと藤川らは指摘しています (藤川編,2008:(2)-(3))。

 今日の創造科学が聖書を根拠に生殖技術に反対している *7 ことなどを踏まえると、このまとめには検討の余地が残されているといえるでしょう。しかし、旧優生学における「代替神学」的側面は、ゴルトンが優生学の国家的重要性について「第三の段階として、新しい宗教のように、国民の意識に取り込まれなければならない」(ゴルトン,1904=2006:187) と述べていたことなどから、優生思想の根本にあるということが伺えます。また、今日においても一部の科学者が、「代替神学」的なものとして新優生学的技術を位置づけようとしていることは明らかです。たとえばリベラル優生学を掲げるドゥオーキンは「神を演じることが、(…) これまで長い年月にわたって神が意図的に、あるいは自然が盲目的に進化させてきたものをわれわれの意図的な設計の中でさらに改善しようとする決意を意味したりするのであれば、倫理的個人主義の第一原理はこうした努力を命じる」と述べています。また、シンスハイマーは、生殖医療技術の発達をもって「われわれはまったく新たなレベルの進化への移行の主体となりうるのである。これは宇宙レベルの出来事である」とどこか神話的に述べています (いずれも、(サンデル,2009=2010)から孫引き)。
 




《参考文献》

・小野直子「近代科学の台頭と人間の分類 ―20世紀転換期アメリカにおける「精神薄弱者問題」―」,『富山大学人文学部紀要第62号』Pp.163-186,2015.
・喜堂嘉之「健康優良コンテスト狂想曲――革新主義期の『科学』とアメリ優生学運動」,樋口映美・喜堂嘉之・日暮美奈子編『〈近代規範〉の社会史 都市・身体・国家』Pp.137-161,彩流社,2013.
・ゴルトン,F.「優生学――その定義,展望,目的」(北中享子・皆吉淳平訳),慶応大学『哲学 第114集』Pp.181-8,2006. (Galton,F., “Eugenics: It’s Definition, scope and aims”., Sociological paper.,Pp.45-50.,1904.)
・サンデル,M.『完全な人間を目指さなくてもよい理由 遺伝子操作とエンハンスメントの倫理』(林芳紀・伊吹友秀訳),ナカニシヤ出版,2010. (Sandel,M., The case against perfection: Ethics in the age of Genetic Engineering., Belknap press., 2009.)
・福本英子「少子化対策と生殖補助医療を考える」,日本社会臨床学会編『シリーズ「社会臨床の視界」3 「新優生学」時代の生老病死』Pp.173-200,現代書館,2008.
フーコー,M.『性の歴史2 快楽の活用』(田村俶訳),新曜社,1986.(Foucault,M., L’usage des plaisirs., Gallimard., 1984.)
フーコー,M.「倫理の系譜学について-進行中の作業の概要」(守中高明訳),蓮實重彦渡辺守章監修『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅹ 倫理/道徳/啓蒙』,筑摩書房,2002. (Foucault,M., “On the Genealogy of Ethnics: An Overview of Work in Progress”., In Michel Foucault: un parcours philosophique., Dreyfus,H.,Rabinow,P., Gallimard.,1984.)
・藤川信夫編『教育学における優生思想の展開』,勉誠出版,2008.

*1:新旧優生運動の特徴が端的にまとまっていたこと、議論の前提を共有するために書かれた「はしがき」であるため新旧優生運動に対しての一般的な評価から大きくかけ離れてはいないと予想されることから、この文章を参照することにしました。

*2:この断種実践は、たとえばヴァージニア州では1979年まで続いていました。第二次世界大戦前の旧優生運動に基礎づけられた実践が、このように戦後まで続けられていた例は少なくありません。

*3:もちろん、積極的優生学に基づく働きかけもあったのですが、それらは先述のとおり優生結婚などの不確実・初歩的な働きかけに限定されていました。例としては、ナチスにおけるレーベンスボルンが有名でしょうか。

*4:たとえばノースカロライナでは2002年に謝罪が行われ、2003年には強制性が存在したことを認めた上で、補償のための特別委員会が設置され、その後補償が実現しました (「ノースカロライナ:断種被害者のためのオフィス」http://www.sterilizationvictims.nc.gov/ 2015/1/19参照)。このような対応は各州で行われています。

*5:他方で、例えば旧優生運動を国家による戦争と短絡的に結びつけることはできないということには注意しておく必要があります。第一次世界大戦時、優生学者は優生学的なロジックに従うことで、むしろ反戦の立場をとることもありました。

*6:「いつの日か、われわれは認識するようになるだろう。自分たちの血を後世へと受け継ぐのは、優れた部類に属する善良な市民にとって至高かつ不可避の義務であるということを。そして、劣った部類に属する市民をのさばらせておいてはならないということを」(サンデル,2009=2010:69)。

*7:参考「創造科学研究所 人は神によって創造された」(http://www.icr.org/Gods-creation/ 2015/1/19参照)。