世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

アッシリアはなぜ1400年も "続いた" の?③

3. 神アシュール像の欠落


 やや横道にそれるのですが、神アシュールと土地アシュールの結びつきを考察するうえで興味深いのが、アッシュル・バニパルの父エサルハドン (在位前668-627年) が作成した契約文書、そこにおされた印章です *1。エサルハドンは息子をアッシリア王につかせるため、国内外にむけて誓約文書を発行したのですが (関連①②)、その際、文書に古・中・新アッシリア時代それぞれの印章を使用しました (古アッシリア時代の印章はエサルハドンが使用するまでにおよそ1300~1100年間保管されてきたことになります。それ自体驚くべきことですね)。以下がそこで使用された古アッシリア時代の印章です (文献③:282)。

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アッシリア時代の印章。中央部分が空白になっていることがわかる


 この印章においては、礼拝される神像の部分が空白となっていることがわかります。礼拝の対象であるはずの神アッシュルの像が不在なのです。同じくエサルハドンが使用した中期アッシリア時代の印章ではアシュールが人間の姿で表象されていることをふまえると (下図)、このことはなおのこと奇妙でしょう。渡辺はその理由を、「当時まだその図像表現が定まっていなかった」からではないかと推測しています (文献③:283)。土地たる神を図像としてどのように表象するかは、それ自体難しい問題であったのかもしれません。


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中期アッシリア時代の印章



参考文献

[文献①] 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『[改訂版]詳説 世界史研究』(山川出版社,2008).
[文献②] 大貫良夫『世界の歴史① 人類の起源と古代オリエント』(中公文庫,2009).
[文献③] 渡辺和子「アッシリアの自己同一性と異文化理解」(in『岩波講座 世界歴史2オリエント世界-7世紀』,岩波書店,1998).
[文献④]Lambert,W,G. ,“The God Assur,” Iraq 45, 1983.
[文献⑤] 柴田大輔「アッシリアにおける国家と神殿 ―理念と制度」(in「宗教研究」,89:79-105,2015).
[文献⑥] 山田重郎「軍事遠征と記念碑 アッシリア王シャルマネセルⅢ世の場合」(in「オリエント」,42:1-18,1999).
[文献⑦] 青島忠一郎「新アッシリア時代の王碑文における王の自己表象の変遷 ―「前史」の考察を手がかりに」(in「オリエント」,57:16-28,2015).
[文献⑧] 前川和也「古代メソポタミアとシリア・パレスティナ」(in『岩波講座 世界歴史2オリエント世界-7世紀』,岩波書店,1998).
[文献⑨] 渡辺和子「西アジア北アフリカ古代オリエント(2)(1994年の歴史学界:回顧と展望)」(in「史学雑誌」,104:922-5,1995).



関連文献・資料

[関連①] 渡辺和子「『エサルハドン王位継承誓約文書』にみる「普遍的」倫理と呪詛」(in「宗教研究」,89:249-51,2016).
[関連②] 渡辺和子「忠誠の誓約文書と契約宗教としての一神教」(in「宗教研究」,88:261-2,2015).

 いずれも学会報告の紀要である。これら報告では、エサルハドンがアッシリア支配下の様々な文化圏の人びとに対して「普遍的」な行動規範を作り出す意図のもと誓約文書を手渡したとされ、そこに「契約」や「プロパガンダ」の始まりが見出されている。確かに誓約文書が粘土板の大量発行により広域に配布されたという点、内容が永久に有効だとされた点、「アッシュル・バニパルをあなた方自身の命のように心のすべてで愛せ」といった文言で血縁・地縁を越える普遍的連帯を生み出そうと意図していた点などは興味深い。

*1:サルゴン2世の子が、後述するセンナケリブであり、孫がエサルハドン、ひ孫がアッシュル・バニパルです。サルゴン2世やアッシュル・バニパルくらいなら教科書にも出てきますね。