世界史を、もう少し考える

高校教員が、世界史や社会学についてあれこれと書きます。(専門は社会学です)(記事の内容は個人によるものであり、所属する団体等とは一切関係はありません。)

世界システム論 ― バラバラではなく、結びつき互いに関係しあうものとして諸地域の状態を捉える視点

 

 

 

 1. 本記事の目的

 ここでは、世界システム論について説明します。とくに、世界システム論における「システム」とは何を指し、それがどのような点で重要な見方を提示してくれるのかを、ごくごく簡単に説明していきます。

 なお、私自身ウォーラーステインをちゃんと読んだことはないので、この記事は厳密な検討に耐えるものではありません。私が歴史を学ぶなかで少しずつ考えてきた、私なりの世界システム論像です。また、あまり長くなっても仕方がないので、もう少し細かい説明はほかの記事に譲ります。

 

 

 2. システムとは何か

 さて、本題に入ります。果たして世界システム論がいうところのシステムとはなんでしょうか。システムという語は、最も包括的に翻訳するならば「系」を意味します。これでは何のことだかわかりにくいし、例えば社会学のシステム論などを持ってきてウォーラーステインを説明しようとすると、さらに難解になっていきます *1。そこで、ここではシステムを違うものに置き換えて説明することにしましょう。

 

 本記事が提示したい像は、簡単に言うと次のようなものです。「世界システムとは、諸地域を『関数 (function)』の関係にあるものとして捉える見方である」。関数とはどのようなものでしょうか。それは、「ある変数と他の変数が関係づけられている」状態です。例えば、「y=2x+3」という一次方程式の場合、「x=3のときはy=9」「x=6のときはy=15」というように、xの値に応じてyの値が決まります (逆もまた然りです)。つまり、関数の関係にあるとは、一方の状態に応じて、他方の状態が決定づけられていることを指します。

 ウォーラーステインは、この考え方を歴史に対して応用しました。どういうことでしょう。ウォーラーステインは、「ある地域の状態に応じて、他の地域の状態が決定されていく / 決定されてしまっている」ものとして世界の歴史を描いていったのです。

 

 

 3. ウォーラーステインの提示した世界史像

 ここからは、参考文献をもとにウォーラーステインが提示した歴史像を簡単に見ていきましょう (金澤監修,2020: 126-127)。17世紀初め以降、世界経済の覇権国はオランダ、イギリス、アメリカというように変遷していきました。これらの国は、それぞれの時代において「中核」として歴史を動かしていたといえます。そして、これら中核地域における中心的人物たちは、自由な契約労働にもとづく資本主義的生産を発達させていきました。

 しかし、これら資本主義的生産は、決してその地域の力だけで可能になっていたものではありません。中核が中核としてふるまうためには、ほかの地域の存在が必要であり、それらの地域では自由な契約労働は可能となりませんでした。こうした地域を「周辺」と呼ぶことができるでしょう。

 

 一例として、近世のヨーロッパにおける世界システムを見ていきましょう。

 まず、西ヨーロッパでは14世紀の危機以降、農村において大きな構造転換が起きていきます (服部ほか編,2006: 288-290)。百年戦争による中小貴族の没落は、領主の農民に対する優位性を弱め、またペスト等による農業人口の減少は、農民の価値を相対的に高めていきます。こうしたなかで次第に、自分の領内で働き続けてもらうため、領主が農民に譲歩をする必要性が生まれてきました。それでも領主は農民の移動を抑えることができず、例えばイングランドでは賦役労働や農奴制度が崩壊し、そのなかで富農層が自立的経営を発展させていくことになります。同様にフランスでも領主経営が困難になり、15世紀からは都市の富裕市民による投資が目立つようになりました。そのなかで、(これまでの貴族とは異なる) 新たな地主層が形成されていくことになります。このようにして、西ヨーロッパでは農奴制が崩壊し、次第に自由な契約労働の端緒が開かれていくことになりました。自由な契約労働は資本主義の要件の一つであるといえるため *2、西ヨーロッパはまさしく農奴制の仕組みから抜け出すことで大きな一歩を踏み出したといえるでしょう。

 

 さて、"かつての歴史教育" では、以上のように「農奴制を抜け出したことで資本主義への道が開かれた」といった形で歴史を語っていました。もう少し大胆に、「農奴制という、奴隷を利用した野蛮な状態を脱して、人類は一歩進化した状態へと至ったのだ」と説明する人もいたかもしれません。まさに、「自由と平等が勝利したのだ」と (特に、フランス革命期に農奴制の撤廃が明言されたことについて、このように言う人は多いです)。しかし、ウォーラーステインはこのような見方をしません。彼は、西ヨーロッパが農奴制から離脱していく過程で、他の地域の状態が規定されていったと考えるのです。

 実際、西ヨーロッパ以外の地域においては、農奴制度はどのように変化したのでしょうか。エルベ川以東の東ヨーロッパでは、15世紀末以降、西ヨーロッパにおける穀物需要に応える仕組みとして、再版農奴制が敷かれました。要するに西ヨーロッパは、農奴制が崩壊していく過程で足りなくなった穀物供給を、東ヨーロッパからの輸入によって賄ったのです。西ヨーロッパが徐々に農奴制から解放されていく一方で、まさにそのために東ヨーロッパでは農奴への支配が強化された。やや極端にいうならば、「西ヨーロッパの自由と発展のために、東ヨーロッパは不自由と停滞を押し付けられた」といっても良いかもしれません。

 なお、地中海岸など南ヨーロッパでは、中核地帯と周辺地帯の「中間 (半周辺)」として地主小作制が発展します。これは小作農たる農民に対して地主が土地を貸し出し地代を徴収する在り方のことで、わかりやすくいえば半農奴制的なものでした。

 

 以上のように、近世のヨーロッパは、「西ヨーロッパ (中核) が農奴制の撤廃」という形をとったことにより、「南ヨーロッパ (半周辺)は半農奴制」「東ヨーロッパは農奴制強化」という形で各地域の状態が決定されていったのです。まさに西ヨーロッパの値に応じてその他の地域の値が決定されているわけで、これは諸地域が関数の関係にあったということができるでしょう。

 長くなってきたので詳細は省きますが、時代を経るにつれてこの世界システムは大きく拡大していくことになります。とくに帝国主義の時代には、ヨーロッパが「中核」として資本主義社会を発展させていく一方で、植民地に対しては農業生産を押し付けるといった関係が形成されていきました。

 

 

 4. 世界システム論のなにが新しかったのか

 さて、以上が世界システム論の概要です。では、この「諸地域の状態を関数として捉える」という見方は、どのような点で新しかったのでしょうか。それを理解するために、ここではマルクス主義史観というもの (マルクス主義唯物史観ともいいますが、それ) に敵役を演じてもらいます *3

 

 ある時期において歴史学では、マルクス主義史観という見方が共有されていました。それはごくごく簡単にいえば、「狩猟採集社会 ⇒ 封建社会 ⇒ 資本主義社会 ⇒ 共産主義社会」へと歴史は必然的に発展していくという考え方でした。わかりやすくいうなら、社会はこのような形で「進化」をしていくという考え方です。

 この考え方のどこに問題があるのでしょうか。そもそもそのような形ですべての社会が変遷していくかは明らかではなく、経験的にも誤りである可能性が高いということはもちろんです。ですが、何よりもこの考え方は、① 特定の地域の発展をその地域における内発的要因に求めるものであり、また ② 特定の地域の状態を〈進んでいる / 遅れている〉という軸で見てしまいがちであるという点に困難を有していると私は考えます。①のほうから説明しますと、唯物史観ではある地域がほかの地域とどのような関係を結んでいるのか、その関係がその地域の在り方の変遷にどのような影響を与えたのかを考慮することが困難になります。ある地域はそれ単独として、特定の変遷を経る内的な力を有しているのであり (どことなくアリストテレスを想起させる考え方ですが)、諸地域との関係は短期的に影響を与えるにせよ大きく考慮すべきものとはされないのです。そのうえで、②のような問題が発生します。マルクス主義的史観に立つと、例えば先に挙げた近世東ヨーロッパの再版農奴制や、近代のアフリカなど植民地の発展の停滞は、その地域が「まだ資本主義への発展途中であるということ」の証拠として、つまりはその地域がまだ資本主義社会に対し遅れているものとして捉えられてしまうことになります。

 ウォーラーステインの見方に戻りましょう。ウォーラーステイン世界システム論は、「ある地域の状態は、特定の他の地域の状態と相関する」と考えることで、上記①②の問題点を超えたものでした。例えば植民地で農奴制に近いプランテーションが行われていたとしても、それはその地域が発展途中であるからとか、遅れているからということにはなりません。中核地域の経済を支える周辺としての位置を押し付けられているからこそ、そのような状態にあるのだということになります。このような見方を提示することで、諸地域をあるネットワークとして捉えていく視座を提供したこと、ここに世界システム論の意義があるのです。

 

 

[参考文献]

   金澤周作監修『論点 西洋史学』(ミネルヴァ書房,2020).

 服部良久ほか編『大学で学ぶ西洋史[古代・中世]』(ミネルヴァ書房,2006).

 森岡真史「社会主義の過去と未来:科学・闘争・規範」(in『季刊経済理論』48巻,2011).

 山田信之『世界システムという考え方 批判的入門』(世界思想社,2012).

 樺山紘一ほか編『岩波講座 世界歴史1 世界史へのアプローチ』(岩波書店,1998).

 

*1:とはいえ、以下で提示するシステム像は、社会学における社会システム論の議論を踏まえたものとなっています。ただ、この記事ではあまり細かくシステムについて考察する気はありません。

*2:これについては、いつかウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』について触れる際に論じます。

*3:これ以上記事を長くしないために、ここでは「マルクス主義史観」と称されるものを非常に簡略化した形で描いていきます。こうした説明の仕方は、現在でも歴史学を学ぶ人たちのなかで、(井戸端会議くらいの場であれば) それなりに程度まで共有されているものです。しかし、私自身は「マルクス主義」というものを標的とするよりも、より大きく「進化論」というものが生み出していた時代の流れのなかで問題を捉えた方が良いと思っています。また、大抵の場合「マルクス主義史観」と名指されるものは、批判のために構成された虚像であることも多いだろうは思います。さらにいえば、史学家たちのなかでそのような歴史観がどの程度まで共有されていたかもかなり怪しく、やはり多くの場合それは (全面的にせよ部分的にせよ) 批判の対象として用いられてきた側面が大きいです (それは逆説的に、マルクスという人物の影響力の大きさを我々に教えてくれています)。

 こうしたことは、またどこか別の記事で論じることにしましょう。